見出し画像

メガネをかける人生がはじまった。

最近、本格的にメガネをかけるようになった。

両眼の視力は、さして悪くない。左眼の視力など、調子がよければ1.0を誇るほどだ。しかし右眼の視力が0.4で、これも単体で考えるとめちゃくちゃ悪いというわけではないのだけど、ここまで左右差が広がるとやたら眼が疲れる。視力の悪いほうの右眼が、つねに緊張しているような感覚がある。それがいよいよ我慢ならなくなり、右だけに度数の入ったメガネをかけるようになった。たしかにかけるとラクである。

大学卒業後にメガネ屋さんへの就職を果たしたこととは関係なく、ぼくは長らくメガネ・コンプレックスを抱いていた。メガネをしている人が知的に見え、物書きの仕事に従事しながら視力抜群の自分がバカボンに思え、コンタクトが乾いただの、酔っぱらってコンタクトをつけたまま寝ちゃっただの、そんな話を聞くたびに、わけもわからず劣等感に打ちひしがれていた。

メガネ屋さんで培った知見をもとに客観的な話をするなら、ぼくの顔はメガネが似合わない。加えていうと、サングラスはもっと似合わない。これは照れているのではなく、顔の大きさや目鼻のバランス、眉の太さや長さなどから算出される、メガネ業界に流布する客観的指標をもとにした話である。似合わないことは重々承知しながらも必要に迫られ、人生ではじめて毎日メガネをかける生活を開始した。


ここで問題になるのは「公式のおれ」をどうするか、である。

いまぼくは、プロフィール写真を撮影しておこうかと考えている。現在SNSまわりのアイコンに使っているのは横顔だし、そもそも何年も前の写真だ。いまよりずいぶん若く、白髪もないし、痩せている。なんといっても取材中のインタビューカットだ。そろそろちゃんとカメラを見据えた、いわゆるところのプロフィール写真を撮っておいたほうがいいだろう。

で、その「これがわたしです」の写真でメガネをかけるのか、かけないのか。

たぶんメガネは、今後ずっとかけ続ける。けれどもタモリさんのサングラスみたいに、おぎやはぎさんのメガネみたいに、「これが公式なおれなんだよ」と胸を張ってかける自信もあまりない。メガネのない顔がほんとうのおれだという気がする。でもでも、その写真でしかぼくのことを知らない人の前にメガネ姿で現れたら、誰だお前感が出て面倒くさそうな気もする。


まあ、いつもながらにどうでもいい話なんですが。


ちなみに編集者やライターに耳寄りの情報をお話しすると、インタビュー原稿の掲載にあたってご当人がいちばん気を揉むのは、タイトルでも原稿の中身でもなく、インタビュー中の写真うつりだったりします。腕のいいカメラマンさんを連れていって、なるべくたくさんの、びっくりするほどたくさんの写真を撮っておくことをおすすめしますよ。