スマホによって消えた灯り。

昨年ぼくは、十年以上ぶりの引越をした。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ソファ、ベッドといった生活家電・家具などを全部買い換える、けっこうなリセット感のある引越だった。無事に引越を終えて、あたらしい家で一年以上暮らしてみて最近、あることに気がついた。たとえば最新型の洗濯機。はじめて買ったドラム式で、とても便利である。あるいは、お刺身専用の小部屋がついた冷蔵庫なども、日進月歩なテクノロジーのすばらしさを感じさせる。犬と一緒に眠ることのできるL字型ソファも、たいへんにありがたい。けれどもいちばん変化を実感するのは、しかもそれが完全な無意識下の変化だったのは、寝室だ。あたらしく買い換えたベッドの枕元というかベッドサイドに、照明を置かなくなったことだ。


自宅にいるときのぼくは、ぐずぐずするのが好きである。

お風呂に入ろうかな、それとも明日の朝にしようかな、とぐずぐずしながらテレビを見ている夜の時間。出かけようかな、それともこのままお昼寝しようかな、とぐずぐずしながらソファに横たわる休日のお昼。そして、明日も早いしそろそろ寝ようかな、それともこのまま本を読もうかな、とぐずぐず読書する寝室のベッド。ぼくにとっての読書タイムは、8割方が就寝前のぐずぐずタイムであり、ゆえにベッドサイドにはたくさんの本が積み上げられ、ちいさな読書灯が備え付けられていた。

しかしながらこの数年、ぐずぐずしながらベッドで読むのはもっぱらキンドルであり、読書灯をまったく必要としなくなった。昨年の引越において、読書灯を買おうという選択肢さえ、ひとつも浮かばなかった。


でもなあ。なんとなく読書灯、買ったほうがいいかな、という気持ちになったんですよ。たとえスマホやタブレットで読むばかりだとしても、寝室としての「しつらえ」として。

最近、何年かぶりに『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。新潮文庫の、原卓也さん訳のほうを。


教祖猫を噛む。
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古賀史健