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企画することと、成立させること。

いま、うすーく社員を募集している。

「人手が足りない!」「猫の手も借りたい!」という種類の会社でもないし、いまでも精いっぱいといえばそうなんだけど、もうひとりくらいは大丈夫かなあ、とぼんやり人をさがしている。といって正式に募集をかけているわけではなく、気分は大山倍達。あたまの片隅に「もし(この人と一緒に)働かば」の問いを置きながら人と会い、めしを喰ったり酒を飲んだりしている。

いいなー、と思う人がいてもお声がけすることはせず、もうしばらくいろんな人に会いながら、いいなー、をあたまのなかで転がすつもりでいるところだ。


すると先日、ある方から「スクールを開いてみたらどうか?」というアドバイスをいただいた。プロアマ問わないライター講座みたいなものを開催し、そこで多少のお金をいただきながら書き方や考え方を教え、いちばん優秀な人をスカウトすればいい。そんなアイデアをいただいた。


即座に思った。おれにはムリだと。

なぜか? 「企画」するのはかんたんだけど、「成立」させるのは泣くほどむずかしいもの。それがスクールだからである。

もし「あの人の話が聞ける」こと自体を商品とするトークイベントであれば、それほど悩まなくてもいい。キャスティングとブッキングがすべて、といってもいい企画だろう。しかし、支払った金額以上の知識や技術を持ち帰ってもらうスクールとなると、そうはいかない。参加者のなみなみならぬ熱意はもちろんのこと、それを促すことも含め、主催者の「本気」がそこにないと、なかなか成立する企画ではないのだ。

そして主催者が「本気」になればなるほど、そこに割く労力は割に合わないものになっていく。主催者がぬるく、ぼくの目から見てぼったくり寸前の構造になっているスクール的な場所は、意外と多い。


先週末、とあるスクール的な、講座的な、塾的な場所に、ゲストとして参加させていただいた。主催者の「本気」がむんむんに伝わる、それはそれは見事な場所だった。

いまのぼくにはムリだけど、ああいう場がたくさん増えるといいなあ。そしていつか自分も、ああいう場所をこしらえるだけの技量と胆力が身につけばいいなあ。

いちばん学んだのは、ぼくでした。