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最近の若いひと

自分も年をとったなあ、と思うこと。余計なところで年寄りぶること。これはできるだけしないようにしています。ただ、若いひとたちを見て「自分とはぜんぜん違うなあ」と感じること、いわゆるジェネレーションギャップを感じることは、このところ増えてきました。

最近の若いひとたち(さすがに10代の友達はいませんが、20代でありながら友達のように付き合ってくれている人たち)としゃべってると、なんて言うのかなあ、時代に対する肯定感がすごく高いように感じるんですね。前の世代のことをぜんぜんありがたがってない、というか。

ぼくは団塊ジュニアとかジェネレーションXと呼ばれる世代の人間ですけど、なんだろう。ぼくらの青春って、かなりの割合が「60〜70年代をうらやむこと」に費やされていた気がします。

ビートルズやボブ・ディランといったロックの恐竜たちもそうだし、ウッドストックなんかもそう。ヌーヴェルバーグにニューシネマ、あるいは学生運動の熱気もそう。おじさんたちの語る60〜70年代は、熱気と魅力に満ちあふれていました。

それに引き替え、おれらの世代の、いかに貧しいことか。なんなんだよ、ヘビメタって。デュラン・デュラン? カジャ・グー・グー? そんなもんロックじゃねえよ。政治の季節なんてとっくに終わってるし、映画もぜんぶハリウッドだ。いったいなんで、おれはこんな貧しい時代に生まれちゃったんだ。

……という感じで「いま」を呪い、過去ばかりを振り返る。それがぼくらの世代の文系男子だったように思うのです。ここで「テクノロジー」の発展に未来を見出す理系男子はそれなりに「いま」を謳歌していたような気がするのですが、文系の習いとして、どうしても「物語」や「様式」の発展に恋い焦がれ、行き詰まりを見せた「物語」に幻滅し、せいぜい世紀末に希望を託す。これ、たぶんぼくは実際に2000年がくるまでそんな感じだった気がします。

一方、いまの若いひとたちって、おじさんたちの語る過去をぜんぜんありがたがっていないんですよね。うらやましいなんて、微塵も思ってない。そりゃあ景気のよかったバブル時代の話をうらやましく思うことはあるだろうけど、文化としての過去に、まるで頓着してない。さまざまなテクノロジーに囲まれた「いま」のほうがおもしろいに決まってるじゃん、くらいに思ってる。

この、世代としての自己肯定感はぼくらにはなかったし、あたらしいひとたちだなあ。と思います。

その意味でいうと、いまの若いひとたちって、60年代の若者に近いのかもしれないですね。たぶん当時の若者も、過去に対してなんのありがたみも感じてなかったでしょうし。

……ただ、60年代を生きた人たちは、ものすごく優秀な「時代の語り部」でもあったんですよね。村上春樹さんなんかはその典型ですが。そしてぼくらの世代は、語り部がいないんですよ。うん、それは強く思います。

いまの時代はどういう語り部を生んでいくのだろう。いい語り部が生まれるとおもしろいだろうなあ。