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音としての名前

口に出して言いたくなる名前、というものがある。

有名どころでいえば、シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーの筋肉二大巨頭がそうだ。

スタローンの場合、できれば「シルベスタ・スタローン」と発音したい。「スタスタ」のもたもたした音を発したあと、勢いよく「ローン」を言いたい。

シュワルツェネッガーの場合、「シュワルツェネ」の「ツェネ」をがんばって発音したあと、自信を持って「ッガー」を言いたい。

個人的には、テニスプレーヤーのノバク・ジョコビッチも、なかなか魅力的な名前だ。去年『ジョコビッチの生まれ変わる食事』という本がヒットしたけれど、これも『フェデラーの生まれ変わる食事』とかだったら売れ行きが違っていたんじゃないかとさえ思っている。

そしてサッカー界でいえば、ドラガン・ストイコビッチ(元名古屋監督)と、ズラタン・イブラヒモビッチ(現パリ・サンジェルマン)のふたりは、ぜひともフルネームで音読したい名前だ。スラブ系の父称、○○ビッチの迫力はもちろんのこと、「ドラガン」や「ズラタン」の力強さは、省略するにはあまりにもったいない音だ。


と、ここまではほんとにどうでもいい話だけれども、ときどき思うのだ。

欧米人にとっての「こが・ふみたけ」という音は、どんな響きを持っているのだろう、と。

「koga」は比較的発音しやすいだろうけど、「fumitake」のほうはなかなかむつかしそうだ。そしてなんとなく、「fumitake」は間抜けな音として響きそうな予感がある。

そういえば新日本プロレスの中西学がアメリカ遠征したとき、マサ斎藤から「アメリカ人は Nakanishi なんて覚えてくれない。お前のリングネームは KUROSAWA にしろ! アメリカ人は KUROSAWA が大好きなんだ!」と言われて、必死で断ったという話があったなあ。