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犬と家族と友だちと。

犬を迎えてから、およそ1年半。

いつのころからか、自分のことを「おとうさん」と呼ぶようになった。そして奥さんは自身のことを「おかあさん」だと呼んでいる。ふたりともきわめて自然なことのなりゆきとして、そう呼んでいる。どこの家でもそうだろうけど、犬や猫はそれほどにも無意識に、家族なのだ。

そしてふと、自分の子ども時代を思い出す。

実家で飼っていた雑種犬バッカス。小学生のころ、両親に頼み込んで交換会でもらってきた男の子だ。彼の前でぼくは、自分のことをなんと呼んでいただろう。「おとうさん」でなかったことは確実だ。おとうさんは一緒に暮らす父親であり、ぼくにそれを名乗る権限はないし、その発想もない。かといって自分を「お兄ちゃん」と呼んだおぼえもない。兄がいたというのもあるけれど、たぶんぼくはバッカスを弟だと思っていなかった。

やっぱりぼくは、自分のことを「ぼく」と呼び、弟ではないバッカスと遊んでいたように思う。それは家族というより純粋な、ただの友だちだった。

いま、家族としての犬を迎えられたよろこびを感じながら、友だちとしての犬と過ごした時間の甘酸っぱいせつなさを、思い出している。お互い男の子だったよなあ、とか、けんかもしたっけなあ、とか、ほんとに友だちだったよね、とか。


子ども時代に戻りたいと思ったことは一度もないけれど、子どもになって、友だちとしての犬と遊ぶことはしてみたいなあ。「おとうさん」じゃない自分として、思いっきり犬と遊び回りたいなあ。

まあ、そうなったらなったで散歩をめんどうに感じたり、遊びに誘う犬をそっちのけでマンガを読んでいたりするのが子どものぼくなんだろうけど。