見出し画像

原稿が生まれ変わる瞬間。

昨年末、ひとつの(自分のなかでかなりおおきな)原稿を書き終えた。

書き終えた原稿は当然、すぐさま編集者さんにお渡しする。そこから著者さんや共著者さんの手元に渡り、自分以外のたくさんの方々が目を通していくことになる。おもしろいのはいつも、こうやって誰かにお渡しした瞬間から、自分の原稿を見る目が変化していくことだ。

あの人はこれをどう読むのだろう。この部分をどう感じるのだろう。さすがにここは勇み足だと思われるだろうか。自分ならこれをもっとうまく説明できると思われるだろうか。

原稿を書いているあいだ孤立無援だった「読者としての自分」がひとりぼっちではなくなり、みんなで回し読みしている姿をイメージするだけで、ちょうど読書会に参加しているような発見がいくつも出てくる。原稿に埋もれていた長所や短所が、山ほど見つかる。仮に「憑依型の執筆」というものがあるとすれば、「憑依型の読書」もあるのだ、たぶん。

なのでぼくは、初稿を上げてからの加筆修正がやたらと多い。それはもう朱入れというより書きなおしに近いレベルで、ガシガシ改稿していく。そして多くの場合、というか必ず、そこでの改稿はもともとの原稿を何倍もスケールアップさせていく。


あの「たくさんの目」を、ひとりで書いているときにも持てたらなあ、と思うのだけど、いまだ執筆中の自分はひとりぼっちで、うまく原稿を突き放すことができない。他人の目、たくさんの目を、持つことができない。

人それぞれに執筆スタイルはあるのだろうけど、いまのぼくはこの非効率な書き方を実直に続けていくしかないんだろうなー。