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SNSと年賀状。

ひさしぶりに note を書いている。

去年最後に書いたのは12月28日だったから、10日ぶりの更新ということになる。じつは年末の大晦日あたりに1本、そして年が明けた金曜日くらいに1本、それぞれ書こうとしたのだけど、途中まで書いて削除してしまった。noteだけでなく、Twitterのほうはもっと激しかった。年末年始に何度かいろいろ書こうとして、投稿しないまま消していった。

感じたこと、思ったこと、考えたこと。年末年始特有の弛緩した時間のなかで、それはもちろんいろいろある。言いたいな、書きたいな、みんなどう思ってるか反応が知りたいな、のことはそれなりにある。

でも、なんていえばいいんだろう。

年末年始のタイムラインを眺めながら、そこに流れることばのほとんどが、「わざわざ言わなくてもいいこと」に感じられたのだ。そして自分もまた、「わざわざ言わなくてもいいこと」を言おうとしているように感じられたのだ。


インターネットの誕生以降、耳のタコが外反母趾になるくらい聞かされた、「情報の洪水」や「情報過多」のことば。

それって受信している情報量のことだとばかり考えていたけれど、どうやら発信している情報の量も、「過多」な「洪水」になってしまっているように思われた。自分のなかでちゃんと育てないまま、反射的に打ち返したり、思いつきでべらべらしゃべったり。


小学校時代の担任の先生から、今年も年賀状が届いた。

ぼくは小学生のころ、毎年担任の先生に年賀状を送っていた。干支のイラストを描いて、おもしろげなメッセージを書き添えて、年に一度のおたのしみとして、精いっぱいのアイデアを凝らした年賀状を書いていた。先生と手紙でやりとりするなんて、「じぶんのことば」でやりとりするなんて、毎年の年賀状が唯一の機会だった。

あのころの年賀状みたいに気持ちがこもった「こんにちは!」は、いまのぼくにはほとんど言えてないな。なんだか急に、年賀状が懐かしくなった。

発信するのもさ、たぶんあれくらいのペースでいいんだよ。そうじゃないと、ぜったいおかしくなるよ。「わざわざ言わなくてもいいこと」だらけになっちゃうよ。


まあ、きょうからまた週日更新でこれを書いていくぼくが言うのもヘンだけど、情報の洪水にのせられて、そこでぺっぺとつばを吐くようなじぶんにはなりたくないなあ、と思った年末年始だったのでした。