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無口になってしまう前に

熊本・大分で起きた地震で被害に遭われた方々、いまも不安な日々を過ごしている方々に、こころからのお見舞いを申し上げます。


こういうとき、ぼくは途端に無口になる。

東京という遠く離れた場所でふつうに働き、ふつうにごはんを食べたりしながら、そんな自分の罪悪感めいたものをわずかばかりの募金で打ち消しながら、なにかを言おうとすることは、かなりむずかしい。ここで口を開こうとすればするほど、無口になってしまう自分がいる。あるはずの日常を忘れ、深刻な顔をしてしまう自分がいる。


震度5強の地震に見舞われた実家(幸いにも無事でした)に電話したら、いろいろと話したあとに「でも大丈夫だから、心配しないで」と言われた。たぶんいま、九州にいる人は、何度となくこの結びのことばを口にしていると思う。その「大丈夫」や「心配しないで」は、自分自身に言い聞かせるためのことばでもあるんだろうな、と思った。

九州の人間は、地震に慣れていない。だから、いま彼らが感じている不安は、相当なものだろうと想像する。ぼくが東京に出てきていちばん驚いたのは、うどんの味でも、傍流に置かれたとんこつラーメンでも、スーパーにちゃんぽんの麺が売ってないことでもなく、地震の多さだった。2011年の震災のときにも、本震の驚きよりも、終わりのない余震との付き合い方に、いちばん苦労した記憶がある。

報道を見ていると、熊本城など「自分の知っている場所」の変わり果てた姿を目にする機会が多い。これは阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、感じることのなかった感覚だ。あまり郷土愛のようなものを持ち合わせていない人間だと思っていたけど、地元(と言うには少し遠いけど)が損なわれるのを目のあたりにすると、独特の喪失感がある。

東京にいるぼくらがなにかを我慢したり、自粛したり、自分の感情に罪悪感を抱いたりする必要はなく、ちゃんと日常を過ごすべきだと思うけど、この機会に乗じて自分の政治的主張をわめき散らすような態度はいやだなあ、と思う。


きょう、ぼくは歯医者に行きました。歯の痛みは、リアルです。