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酔っぱらいとインターネット。

20代のころぼくは、しばしば泥酔していた。

いや、しばしばというのはウソで、飲むとほとんど毎回泥酔していた。記憶をなくすまで飲んでこそ酒だと考え、三軒目から先の記憶がすっぽり抜け落ちているだとか、どうやって家に帰ったかわからないだとかの話を、武勇伝のように語っていた。そこまで飲めないお前は弱虫なのだ、とでも言わんばかりに。

多くの酔っぱらいと同じく、酒を飲んだぼくは声が大きくなり、態度が大きくなり、あらゆる動作がおおきくなり、つまりは行儀が悪くなっていった。しかもタチが悪いことに、いつのころからか服を脱ぐようになっていった。さすがにズボンを脱いだことはないけれど、上半身は裸になり、がははとおおきく笑ってみせた。

あれはいったい、なんだったのか。ずっと不思議だったのだけど、最近ようやく答えがわかった気がした。


要するに、自信がなかったのだ。

そのままでは受け入れてもらえる自信がないから服を脱ぎ、バカなやつだ、愉快なやつだ、まったく困った男だよ、と笑ってもらったり、たのしんでもらったりして、そこに居場所をつくろうとしていたのだ。普段はしずかで退屈だけど、酒を飲んだあいつはおもしろい。そう思ってほしくて、脱いだり叫んだりしていたのだ。

30代に入ったころから、「そういう泥酔」はしなくなった。する必要を感じなくなった。それは自分に自信がついたからではなく、「そういう泥酔」でつながった関係は、どこまでいっても「そういう関係」でしかありえないことを知ったからだと思う。


世のなかには、とくにインターネット・SNSの世界には、酒を飲まずして「そういう泥酔」をしている人がたくさんいる。

それはなあ、万一おもしろがられたとしても、けっきょく「そういう関係」にしかなりえないんだよなあ。


最近少しずつ、SNSに疲れてきている。仲のよい友だちたちとLINEでもしてれば、それで十分じゃないかと思う自分が確実にいる。けど、でも、それは実際そうなんだけれど、やっぱり「自分という広場」の扉は開いておかなきゃと思うのだ。