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もしも自分の若いころにスマホがあったら。

オーディオ機器の「アイワ」ブランドが復活するらしい。

いま「アイワ」と入れてスペースキーを押したら「哀話」と変換された。なんというか、いかにもアイワにふさわしいATOKレコメンドである。いまなら胸を張っていえることだけれど、ぼくはソニー製のウォークマンをもったことがない。理由はシンプル、高かったからだ。金持ちのせがれ連中が最新型「ウォークマン」で流行歌を聴くなか、中学から大学までのあいだ、ぼくはずっとアイワの「ヘッドホンステレオ」を使っていた。ウォークマンを名乗れないことは、ぼくをはじめとするアイワ持ちに言い知れぬパチモン感を与え続けていた。

大学時代のぼくは、片道1時間半をかけて通学していた。電卓を持ち出すまでもなく往復3時間。いまなら発狂寸前のストレスタイムになりそうな気がするけれど、当時のぼくは「まだ学校に着くな」「まだ家に着いてくれるな」と思っていた。

ヘッドホンステレオがあったからである。120分のカセットテープ両面に、自分が好きな曲をびっしり入れる。だいたいカセットテープというものはハンドルの遊び的な「余り時間」が設けられており、片面60分の120分テープであれば、61分45秒くらいまでは録音可能な仕様になっている。その余り時間を含めていかにジャストタイムでオリジナルテープを設計するか。ぼくは職人的な技術でもって、「A面最後の曲が終わった2秒後にオートリバース!」みたいなテープを量産し、自分で聴き、友人たちに配っていた。友人たちに配る際は、当然クソ長い手書きのライナーノーツ付きである。

あの1日3時間の音楽体験は、ぼくのロック好きを決定づけ、ひょっとしたら人生の大ざっぱな方向性まで決定づけてくれたのかもしれないなあ、とあらためて思う。



という話を書こうと思ったのは、じつはアイワ復活のニュースに触れたからではない。

最近、電車の中でスマホをいじっている人たちのやってることが、よくわからないのだ。ぼくの感覚値で言ってしまえば、電車の中でメールをしてる人は、たぶん1割に満たない。いわゆるウェブサイト全般を見ている人も、それをわずかに上回る程度。キンドルなどの電子書籍を読んでいる人も1割弱で、あとはLINEをするか、ゲームをするか、動画を見ている。

この「動画」が、よくわからないのである。

YouTubeではなさそうだし、そうすれば Netflix とか Hulu とか、あるいはテレビ局が提供するオンデマンドサービスなのか、たぶんそのへんなんだろう。ドラマや映画を見ている人たちも大勢いて、なんというか、その「電車でドラマ作品を見る」という感覚は、ぼくにはないなぁ、と思う。

一方で、片道1時間半かけて通学していたあのころの自分なら、きっとドラマや映画を見ていたのだろうなあ、とも思う。いまそれをやっていないのは、電車に乗ってる通勤時間が短いからだろうなあ、とも。


「もしも自分の若いころにスマホがあったら?」

これはよく考える設問なのだけど、スマホの存在によって音楽や映画・ドラマとの接し方もそれぞれ変わっていたのかもしれないし、それはぼくにとって人生がぜんぜん違っちゃうくらいおおきなことだ。

変わっちゃった人生ってのも見てみたいけどね。