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記憶のなかの、あのひと。

記憶絵、というあそびがある。

たしかナンシー関さんが提唱(というか連載)したのがはじまりだと思うけれど、著名人、マンガの登場人物、動物、昆虫、あるいはその他もろもろのキャラクターを、なにも見ずに記憶だけを頼りに描いていく、というあそびだ。最近ではそこに「絵心のない人」を組み合わせて、おもしろの確度を高めたエンターテインメントとして定着している。

子どものころから絵を描くのが好きで、自作のマンガもたくさん描いてきたぼくは、図画工作〜美術の成績もよかった。小学生のころには、作文よりもむしろ絵でもらった賞状のほうがおおかった。学校の先生の似顔絵を描いては、みんなでクスクス笑っていた。


きょう、はじめて自分の犬の似顔絵を描いた。

べつに理由があって描いたものではなく、なんとなくの戯れに描いてみた。するとおどろいたことに、ぜんぜん似ていなかった。絵心や画力の問題以前に、彼の模様がもう、違っていた。

あんなに毎日見ているはずなのに、何万枚と写真を撮り、その写真をまたくり返し眺めているはずなのに、ぼくはまだ犬の模様を正確に把握していないようだ。

思えば家族の似顔絵というのも、描きづらい気がする。家族よりもたとえば、芸能人やスポーツ選手のほうが描きやすそうな気がする。あるいは嫌いな誰かさんほうが、悪意を込めたデフォルメでもっておもしろおかしく描けそうな気がする。

距離が近くなるほど像がぼやけ、声や気配や体温ばかりが記憶に残る。それはおそらく「そのひと」を見ているというよりも、「そこにいた自分」を見ているからだと思う。

こんなのを描いて、びっくりしたのです。きょうのぼくは。