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ご無沙汰しておりますの謎。

ビジネスメールの冒頭に「ご無沙汰しております」と書くことがある。

ふつう、ビジネスメールの大半は「いつもお世話になっております」からはじまるものだ。なかにはライフハックということなのか、署名と一体化させた文面として、「いつもお世話になっております。○○社の○○です」と登録している人も多い。その慣習を破ってまで、さらにはいつもの文面を消去してまでも「ご無沙汰しております」と書くのだ。よほどのご無沙汰なのだろう。

で、具体的に自分は、あるいは世間の人びとは、どれくらいの期間が経過したら「いつもお世話に」なっていないと判断し、「ご無沙汰」をしているのだと書きはじめるのだろうか。


もしかしたらこれ、時間の問題じゃないのかもしれない。

1年ぶりにメールしながら、「いつもお世話になっております」からはじめることは十分ありえる。一方で、半年ぶりのメールでありながら「ご無沙汰しております」も十分ありえる。

じゃあ、どうして「ご無沙汰」なのか。それはたぶん、書き手の主観である。その申し開きである。つまり「このところ、あなたの存在を忘れていたかのようになんの近況報告もしないまま過ごしておりました。しかし、別に忘れていただけではございません。あなたの存在はいつもこころにとめております」的な弁明が、「ご無沙汰しております」のなかに含まれているのではないだろうか。

そして申し開きや弁明を必要とする理由は、その後に「頼みごと」が続くからである。あたかも失念してしまったかのように放置していたけれども、いま、火急の頼みごとができてしまった。なにかをお願いしたくて、久しぶりの連絡をとっている。その申し訳なさが、人に「ご無沙汰しております」を書かせるのだ、きっと。


……といったもろもろを、「久しぶる」ということばで表現できないかと思った。久しぶりな振りをする。すなわち「久しぶる」。久しぶって、親密さを再確認したのち、本題である頼みごとを切り出す。


いや、ね。「久しぶる」って音を思いついて、それを好きになって、なんかここに意味をつけられないかなあと考えて、こんなことを書いてみたのでした。

いつもそんなくだらないこと考えてるのかって?

はい。だいたいこんなことばっかり考えながら生きています。