ダメ人間のダメさ加減が更新されるとき。

さて、今週はたいへんだぞ。

木曜日には引越があり、金曜の夜からは一週間、海外だ。当然ながら月曜から水曜までのあいだに、もろもろの引越準備を終わらせねばならぬ。この、資料や書類のジャングルを、どうにかなんとか引越業者にバトンタッチできるところまで整理しなければならぬ。それだけでも下半期最大の大仕事なのに、いまは師走の真っ只中。あの仕事もあれば、この会合もあり、あちらの打ち合わせも控えている。大丈夫か、やれんのか、おれ。

こういう「たいへん、たいへん」のほとんどは、「やってみたら意外と大丈夫だった」の取り越し苦労でおわるもので、おかげで現在、ぼくのこころのどこかにも今週の激務を舐めてる自分がいる。過去に経験した引越を思い出し、「いざとなったら不用品処分の業者に来てもらって、ぜんぶ捨てちゃえばいいんだよ。おれたちライターはパソコンさえあればどうにかなる仕事なんだよ」みたいな極論を口走り、笑い話として語られていたはずの極論が、いつしかとっておきの秘策になり、やがてそれしかないほどのナイスアイデアに変容していくバカボン思考も想定済みというか、もはやぼくは半分その罠にはまりかけている。

いや、いまぼくはオフィスの引越という、せいぜい数年に一度しかやってこない業務、しかも一から十までぜんぶ自分で準備せざるをえない人員体制という特殊な事情の話をしているので「なにを焦っているんだ、あのばか」くらいにしか映らないだろうけど、たとえばこう考えてみてほしい。

どう考えても3週間はかかる仕事を、やむにやまれぬ諸事情のせいで、5日でやり遂げた。連日会社に泊まり込み、風呂にも入れずボロボロになりながら、どうにかこうにか5日でやり遂げた。

すると翌週くらいには、虚脱感こそ甚だしいけれども「あの無茶な日々」の苦しさを忘れ、むしろ「終わらせた」という満足感だけが残る。

そして翌月にもなれば、「いざとなったら5日でおわる」という無茶な数字だけがあたまに残り、次に引き受けた仕事もラスト一週間くらいまでぐずぐずしてしまう。あたまの片隅にある「本気になったらおれは5日でやれるんだ」を頼りにしてしまう。

そうして5日前になっても、すぐにはエンジンがかからず、結果として最後の4日間ボロボロになりながら、比喩ではなくまじめに泣きながら仕事を終わらせる。どうしておれはあのときすぐに取りかからなかったんだと、先週や先々週の自分を恨む。

けれども翌週にはその悔恨も忘れ果て、よりにもよって「いざとなったらおれは」の期限が4日に更新される。


ぼくは長年そういう働き方を続けた結果、笑っちゃうほど見事に身体を壊し、こころを壊した。おそらく似たような経験のある人は多いのではないかと拝察する。

いま、ぼくは「来週になったら本気を出そう。来週になったら本気になるだろう」と鼻をほじっていた先週の自分に、寒風吹きすさぶこの天気のなか、水鉄砲でも撃ってやりたい。

そしてまた、明日になって「きのうのおれ」にエアガンを撃ちたくなるような自分になっちゃダメだと言い聞かせているのである。


桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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