浮かびっぱなしのクエスチョンマーク。
いったいあれはどういう意味なんだろう、と考え込まざるをえないことばが、ときどきある。
かつて、落語のことを「イリュージョン」だと語る名人がいた。
わかったようで、わからないような、高尚なようで、安っぽいような、考えれば考えるほど「もっと、こう、なんか別のぴったりくることばがあるんじゃないでしょうか?」と思ってしまう、よくわからないことばだった。ご本人がそれについて婉曲に語る解説を聞いても、なおさらわからなかった。
そしてあるとき、ようやくその方の高座を観る機会に恵まれた。
テレビやDVDで見聞きしていたように、まあ天才的で理屈っぽい、それはそれは見事な、ほれぼれしっぱなしの高座だった。けれども落語を好きな方々がその名人に心底賛同しようとしない、その理由もわかる気がした。さあ、これからてめえらをおれの手のひらに載せてやろう、この知と技についてこれるもんならついてきやがれ、ついてこれねえとしたら、それはお前さんがバカだってことだ。という、どこか恫喝や脅迫にも似た、密室的で息苦しい空間だった。
ところが、である。
高座の終わり、その名人がお辞儀をする。
よく言われるようにその名人は、とってもお辞儀のきれいな落語家だった。平身低頭ということばをそのまま体現するような、長く、深く、静かで、どこまでもまっすぐな、宗教的ななにかを感じるくらいのお辞儀だった。
この瞬間、ぼくは「イリュージョン」にかかってしまった。なんならそれを、「魔法」と言ってもいい。
そしてその魔法は、いまもずっととけることなく、ぼくの頭上に「?」マークを浮遊させている。
ものすごくこわいけど、1から10まで見透かされそうだけど、追い返されてたかもしれないけど、それでも一度お話を伺ってみたかったなあ、と思う。
見透かされるじぶんを怖がってなにもしないのは、ただただみっともない自己保身でしかない。それをしなくなっただけ、大人になれたのかなあ。