純文学的な、その関係。

気を抜くと、また犬の話を書きそうになる。

仕事の話はできるだけ書きたくない。ネガティブなことも、なるべくだったら書きたくない。読んだ本や観た映画なんかについて書こうとしても、まじめに取り組もうとしたらたいへん面倒くさい。結果、自分のなかでいつだってポジティブな存在として生き続けている犬の話を、のんべんだらりと書きたくなってしまう。犬を撫で、犬と歩き、一緒にごろごろとソファに寝そべり、べろべろ舐められたりする。そんな犬との暮らしを思い、語っているあいだ、ぼくは普段より少しだけおだやかでまともな人間になっている気がするのだ。

たとえば犬と一緒に暮らすようになって毎日、ぼくは何回・何十回と「かわいい」や「いいこ」のことばを口にするようになった。恥を忍んで白状するなら「ほんと、お前はなんてかわいいんだ」「おとうさんはぺだるが大好きだよ」なんてことまで口走ったりしている。親バカ・溺愛にもほどがあると、われながら思う。

そして仔犬時代の、生命そのものが持つ掛け値なしのかわいさとは別に、ずいぶんとおっさん化してきた現在のぺだるのほうが断然かわいいのだ。

なぜだろうかと考えていたところ、あの人のことばを思い出した。

うん。ふわふわのパピーだったころと違って、いまのぺだるには「この犬の、こういうふうなかわいさは、俺だけにしかわからない」がたくさんあるんだよなあ。どこの犬猫も、そんな特別な関係を飼い主さんたちと結んでいるんでしょうね。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健