地面と知性に必要なもの。

「もっと地に足のついた話をしなさい」という言いまわしがある。

ふわふわしたこと言ってないで、もっと実直な、きょうの行動を伴うような、現実を見据えた話をしなさい。およそ、そんな意味でつかわれることばだ。たとえば映画監督になりたいと願っていた中学時代、ぼくの夢を聞いた大人たちは「もっと知に足のついた話を」と思っていただろう。

似たような音のことばとして最近、「もっと知に足のついた話をしなさい」という言いまわしを思いついた。

時代の変化なのか、ぼくのいる環境の変化なのか、最近かしこい人のかしこい意見を目にする機会がぐんぐん増えてきた。知らない単語をたくさん駆使して語る彼らは、どう考えてもぼくよりかしこい。でも、なぜか聞いても聞いても学びがなく、おもしろくない。ことばとつじつまだけが飛び交っているような、そこだけで完結しているような空虚さを感じる。もしかしたらこれは、ぼくの理解力の問題というより、「知に足がついていないこと」に問題があるのではないか。そう考えるようになったのだ。

足のついていない知は、そこから一歩も動けない。せいぜいやぐらを組み立て、高いところから他を見下ろすだけである。そこからなにやらわからぬことばを発するだけである。

ぼくは自他ともに認めるバカボンだけど、バカボンだからこそ「足のついた知」だけを語っていたいなあと思うのだ。

そしてまた、ほぼ日の「夢に手足を。」ということばの凄みと奥深さを、何度となく噛みしめるのだ。


きょうはこれから、ほぼ日さんにおじゃまします。こちらのコンテンツに登場予定です。

馬の耳に壇蜜。
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古賀史健