技術について考える。
いったいあなたはなにを考えてるんだ、と言われれば、まあたいていは犬のことを考えているんだけど、それだけだったらごはんが食べていけないし、犬についてはかわいいなあ、おもしろいなあ、まいったなあ、こんなので大丈夫なんだろうか、くらいしか考えることがないので、仕事のことも考える。
最初の変化は、37歳だった。
それまでぜんぜん平気だった徹夜が、むしろ得意としてきたはずの徹夜が、少しずつつらくなってきた。次の日、使いものにならなくなってきた。もしかしたらこれが加齢ってやつかしら。不安が襲ってきた。
原稿の精度を決めるのは「集中力」だと、ぼくは思っている。そして集中力を支えるのは、圧倒的に「体力」。おー、なんてこったい。体力が下降しはじめるってことは、集中力も下降するわけだし、結果として原稿もだめだめになっていくって寸法じゃないか。
あわてて「技術」を意識しはじめた。いままであんまり考えたことのなかったテーマだけど、技術を磨き、向上させていくことはできるはずだ。
体力は落ち、集中力は散漫になり、原稿の精度はゆるゆるのぶれぶれになっていく。だとすれば技術の向上によって、そこに抗うことはできないか。技術がどんなものだか知らないけれど、道があるとすればそれくらいじゃないのか。
もうフリーのライターになって十何年も経っていたのにようやく、37歳のぼくは「技術」と向き合いはじめた。なんとなーく、いやなことばですけどね、「文章の技術」って。小手先っぽい感じがして。
まだまだ途上であると思いたいのです。