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いま考えていること、としか言いようのないこと。

きっと、よく聞く話だとは思いますが。

20代のあるとき。どこかで誰か——このへんをしっかり憶えていないところが語り部としてのぼくのだめなところです——が、こんな話をしていました。「自分の書いたものを10人中10人によろこんでもらう必要はない。10人のうちひとりでもよろこんでくれれば、100人中の10人がよろこんでくれるということだ。1億人のうち1000万人がよろこんでくれるということだ」。だからみんなをよろこばせようとせず、たったひとりの誰かが大よろこびするようなものを書けばいい。たぶんエッセイかインタビューで語られたものを読んだのですが、たいへんに感動して勇気づけられたのを憶えています。

そして最近、これと似た理屈をよく耳にするようになりました。有料メールマガジンを先駆けとする、多種多様な会員制コンテンツです。


たとえば月会費1000円の会員を1000人集めれば、単純計算で毎月100万円の売上になる。100万円という金額は平均的な本の初版印税よりも多いし、毎月確実にその金額が入れば、あたりまえだがそれでじゅうぶん食っていける。もしも1000人集めるのがむずかしければ1万円会員を100人でもいいし、10万円会員を10人でもいい。自分が好きなことを書いて、1万人にひとりでもいいからそれをよろこんでくれる人たちがいたら、そして会員になってくれたら、それだけでビジネスになるんだ。というお話です。

この「note」という場だって、そういうことのできる空間として設計されていますし、あらゆるコンテンツが——少なくともその入口が——スマホといういちばんプライベートなデバイスにおさまるこの時代、とても正しいお話だと思います。将来的に自分がそういうビジネスモデルに踏み出す可能性だって、ゼロではありません。


ただ、なんて言うんでしょう。

ぼくがどうしても躊躇してしまうのは、その「最初からこの数にしか届かないと決まっている」という会員制の宿命にどれだけ本気になれるのか、いまいち自信がないんです。「まかり間違ったら100万人に、1000万人に届いてしまうかもしれないもの」という可能性があるからこそ、ぼくは本が好きなので。

あ、これは概念的なことを話しているだけなので「そこは無料ページとの組み合わせで」とか「最初の3割を無料公開して」とか、そういうテクニカルなお話はだいじょうぶです。

ぼくが危惧するのは、閉じられた、原則として自分のファンしかいない空間のなかにおいては、緊張感と切実さをもったクリエイティブがむずかしくなるんじゃないのかなあ、ということ。

これは想像でしかないけれど、小説家だってミュージシャンだって漫画家や映画監督だって、ファンだけに向けて次回作をつくる人なんて、いないと思うんですよ。ファンのことは当然意識しつつも、もっとたくさんの、いままで自分に見向きもしなかった人たちを振り向かせようと、次回作に取り組んでいるのだと思うんですよ。拍手ばかりじゃなく、批判にさらされることも覚悟のうえで。


できるだけ開かれた場所に、開かれた心をもったクリエイターが、開かれたかたちのコンテンツを提供する。その前提がなくなったら、コンテンツ自体も閉鎖的なものになるだろうし、クリエイターとして先細りするだけじゃないのかなあと思うんですね。

そのためにはまず、自分自身が開かれた人間であること。最近そこをサボってきたなあと、少し反省しています。