それだけはぜったいに嫌だ、と思った話。

年末年始、いろんなことを考えた。

多忙にかまけて普段はあまり考えないようにしていることに、あれこれ思いを巡らせた。そのうちのひとつが「炎上」だった。幸いにしてぼくは、まだそれと実感できるような炎上を経験したことがない。ときおりノイズ的なリプライが飛んでくることはあるけれど、意味と意図がわからないおそろしげな手紙や品物が送られてくることはあるけれど、それと炎上とは違うだろう。だからこそ余計に、もしも自分が炎上に巻き込まれたらどう振る舞うだろうかと、わりと真剣に考えてみた。

もともとぼくは、エゴサーチというものをほとんどしない。やったところで、ぼく個人を話題にしていることはなく、ぼくの携わった本についての話題が見つかるくらいだ。そしてまた、自分の本がブログやアマゾンで悪く書かれていても、それほど気にしない。有益な意見には耳を傾けるけれど、それが行き過ぎて失敗した経験は何度もある。ツッコまれる隙がどこにもない、ぬかりのなさすぎる本は、概しておもしろくないものだ。アマゾンレビューに憤慨している作家さん・著者さんたちを見ると、「まあ『そういう場所』なんですから、そんなに気にするこたぁないですよ」と思う自分がいる。2ちゃんねるに関していえば、エゴサーチはおろかそこにアクセスした経験さえ5回とない。総じて自分への関心が薄く、炎上にも「見なけりゃいいじゃん」と言ってしまいそうな自分が、たしかにいる。

でも、ひとつの可能性を思いついて、「ああ、それだけはぜったいに嫌だ」と身震いした。


世のなかの本屋さんが(実質的に)アマゾンだけ、になったときの姿だ。


そんな「たったひとつの場所」で自分の本がぼろくそに、理不尽に、読みもしないままぼくを傷つけることを目的に、汚いことばで攻撃されていたとしたならば、さすがに憤慨するだろう。我を失うだろう。いや、自分がどうなってしまうのか、想像するのもむずかしい。

 * * *

最近いろんなところで「WEBライター」ということばを耳にする。だとすれば(間違いなくそこに含まれないであろう)自分は、「本のライター」とか「紙のライター」なのかと思ったりもする。けれど、そんなふうに自分をカテゴライズして「たったひとつの場所」に据え置くことは、自己紹介には便利であっても、家屋が焼けたときの逃げ場を失うことにつながりかねない。

炎上的なるものに抗うたったひとつの自衛策は、自分をどこにも固定しないことだ。あちらこちらに場をつくり、仲間をつくり、自分をつくることだ。

なんならもう、ライターという肩書きさえいらないのかもしれない。

桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健

ライター。バトンズ代表。著書「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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