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空腹をことばにする試みと仮説。

おなかが空いている。空腹である。

これを空腹以外のことばで説明しようとすると、なかなかむずかしい。おなかの、みぞおちとへそのあいだくらいのところが、きゅーっと締めつけられる。痛みがあるのではなく、細まるようにきゅーっと締めつけられる。不安であるさまを「こころ細い」というけれど、それと同じように「はら細い」感じ。なんらかの固形物を放り込まないと満たされない、穴ぼこが空いたような感じ。残量とぼしいカラータイマーが点滅しているような感じ。胃袋のなかを、綿毛でくすぐられているような感じ。

書けば書くほど空腹の「感じ」から遠ざかっていく。

考えてみれば朝からなにも食べてなく、今晩も遅くまで仕事が続きそうなのでとりあえず「おなかが空いている」と書き、そこからどうにか話が転がるだろうと期待してみたものの、うまく転がらない。

そう、空腹感の正体とは「なにかが減じた感覚」なのではなく、「意識の何割かがそこに奪いとられた感覚」なのだ。空っぽになった腹は、その胃袋に食いものを詰め込むかわりに、われわれの意識を詰め込んでいるのだ。そして満腹後にやってくる幸福感とは、腹が満たされたよろこびではなく、薄まった意識を奪還せしめたよろこびなのだ。


そんな仮説を証明するため、ぼくはこれからとんかつを食べに行こうと思う。

なんの変哲もないチェーン店のとんかつ屋で、ただ空腹を満たし、意識を奪還しようと思う。

では、行ってまいります。