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書評、苦手だったなあ。

これからそういう仕事もあるかもしれないけれど。

昨年まで、小説誌で書評の連載をやらせていただいていた。じぶんのようなライターに書評の、それも小説誌での連載依頼がくること自体、おもしろいと思ったし、のちに続く人のためにも受けたほうがいいのだろうと思ってお引き受けした。

もともとぼくは、じぶんがティーンエイジャーだった当時に入れ込んでいたものごとについて、それを仕事として書くことを選ばずに生きてきた。わかりやすいのはロックミュージックで、学生時代に音楽雑誌社への就職(というか応募)をかなり真剣に検討した結果、それをやっちゃダメだよな、と思いとどまった経緯がある。つまり、20歳なら20歳のじぶんはいま、これだけロックな音楽を愛している。けれども、音楽雑誌社に就職して40歳なら40歳になったじぶんは、いまとは違う態度でロックを聴くのだろう。おじさんの耳で、仕事のひとつとしてそれを聴き、ああだこうだと自説を述べるのだろう。それはなんというか、いちばんなりたくない大人の姿だ。

そんなことを思って音楽雑誌社への応募を思いとどまった。もちろん応募したところで採用されたはずもないのだけれど、たとえばぼくがプロレスについての原稿を仕事にしないのは、小〜中学校時代のじぶんに失礼な気がするからだし、サッカーについてそうしないのも中〜高校時代のじぶんに失礼な気がしてしまうからだ。原稿の依頼があるかどうかはともかく。

で、小説の書評については、正直言ってぼくはティーンエージャー時代、少なくとも「文学少年」ではなかったし、むしろあのころよりもいまのほうが本を好きでいるし、まあ冒頭に書いたような理由もあってやってみることにした。


ところがやっぱりここがぼくの甘さなのか、書評はつらかった。

書評を書くこと自体はさほどつらくないのだけれど、なんといえばいいのだろう、「これから書評を書く人の目」でそれを読む、という行為がどうにもつらかった。純粋な読者になることができず、あたまの片隅で原稿のアウトラインを組み立てながら、じぶんだけの手柄を立てようとしながら、なんなら少し意地悪に、あるいは必要以上にほめどころを探しながら、読んでいる感じがなんとも慣れなかった。

きっと書評を本業とされている書評家の方々は違うのだろうけど、要するにぼくは書評する人間として、最後までアマチュアだったのだ。


どうしてこんな話をしているかというと、ネット上のニュースやSNSにあふれることばを見ていると、多くの人が「アマチュア書評家の目」で世のなかを眺め、なんとかおれの手柄を立ててやろうと舌なめずりしているような、おれを誇示する機会を虎視眈々と探し狙っているような、むなしさを感じることが多いからだ。

この「お手柄主義」という考え方は、幡野広志さんとの対談のなかで、糸井重里さんがふと漏らしたことばだった。

じぶんは対象をまっすぐに見ているのか。お手柄主義に傾いているんじゃないか。去年の夏に収録した対談だけれど、いまでも何度も思い出す。