ナポレオンとワールドカップ。

「余の辞書に、不可能の文字はない」

ナポレオンがなにをやった人なのかはよく知らなくても、このことばを残した人だということは広く知られている。しかし実際にナポレオン・ボナパルトその人がこう言ったわけではなく、かろうじて「不可能とは、フランス語ではない」とか「不可能とは、愚か者の辞書にのみ存在する」とか、そんなことを言っていたらしいという記録が残っているだけで、それすらも出典があやしいというのが歴史家たちの見解だ。

もし、これが「わたしに不可能はない」などのことばであれば、ここまで後年のぼくらに語り継がれることはなかっただろう。不可能があるかないかの話ではなく、余の「辞書」に、それが存在していないというレトリックこそがおもしろいのだ。その、辞書(価値体系)が書き換えられる感覚が、人を惹きつけるのだ。


今回のW杯を観ながらぼくは、「あの慣用句はもう、通用しなくなるのかもなあ」という感慨に襲われている。「まったく逆の慣用句が生まれるのかもしれないなあ」とさえ、思いはじめている。


「攻撃は、最大の防御である」という慣用句だ。


ドイツ、ブラジル、スペイン、アルゼンチン。これらの強豪国が早々に姿を消した今回のW杯。きっと大会終了後にさまざまな角度から総括がなされると思うけど、ぼくが印象的なのは「惨敗の消失」だった。たとえば、スペイン&ポルトガルと同組に入り、目も当てられないような惨敗が避けられないと思われていたイランとモロッコ。ところが蓋を開けてみると、両国ともスペイン&ポルトガルに対して1分け1敗の戦績だった。そして惜しくも喫した1敗も、それぞれ1点差の勝負である。サッカーにおいて「目も当てられないような惨敗」をどう定義するかは意見の分かれるところだろうけれど、仮に4点差以上での敗北を「目も当てられない」と考えるなら、今大会そこに合致する試合は、開幕戦のロシア対サウジアラビアの一戦(5対0)と、イングランド対パナマの一戦(6対1)だけだった。3点差以上の試合で数えても、わずか8試合(ここまでの全56試合中)だ。

これを単純に世界の勢力地図が塗り変わっていったとか、強豪国と中堅国の差が縮まったとか言ってもいいのだけど、それ以上におもしろく感じるのは今大会における各国の「守備」のあり方だ。

ベスト8進出を果たした開催国ロシア、あるいはスウェーデンなんかは典型だけど、今大会ではスターに頼らない守備的チームの躍進と健闘が顕著だった。もちろん昔から(イタリアのカテナチオみたいな)守備的サッカーというスタイルは存在するのだけど、今大会で目の当たりにしている「守備」はちょっと違う。

前線から激しくプレスをかけ、素早いカウンターで勝負を決めるモウリーニョ以降の現代サッカーは、とにかく「ひとつでもミスをしたら負け」の戦いになりつつある。そしてすべての守備は、「相手の攻撃から身を守る」行為ではなく「相手のミスを誘い出す」行為へと変わりつつある。ガンガンに攻めているつもりでも、1本の不用意なパスをインターセプトされたら、そこでゲームの堤防は決壊してしまうのだ。だからこそ今大会、守備的なチームの試合はちっとも退屈ではなく、むしろヒリヒリするような緊張感に包まれて、観ていてヘトヘトになってしまう。ベルギー対フランス戦の後半、頑強な守備を敷いたフランスのサッカーは、まさにそれだった。

ということで今大会を観ながらぼくは思うのだ。


「守備とは、最大の攻撃である」のかもしれないぞ、と。


ひとつの辞書が、書き換えられようとしているのかもしれないぞ、と。

しかもそれを書き換えようとしているのは、ナポレオンの母国・フランスの若きフットボーラーなのかもしれないぞ、と。

壁に耳ありジョージとメアリー。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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