見出し画像

クリエイティブにとっての最大の敵。

先日、会社の田中さんから妙な感心のされかたで言われた。

「古賀さんは〇〇〇の原稿をやっていたときも、毎日 note を書いてたんですよね」。これだけ聞くと、どんなに忙しくとも実直に更新を続けるまじめなひとのように映るかもしれないけれど、感心のポイントはやや異なる。彼女が言わんとしていたことを年長者への礼を排したことばに置き換えると、「お前はあの原稿が大幅に遅れ、あの最恐におそろしい編集者さんから電話で怒鳴られていたレッドゾーンのあの時期でさえ、臆面もなく、いけしゃあしゃあと連日 note で犬はかわいい、なんて書いていたんだな。その図太さにわたしは、ほとほとあきれ返るよ」という話なのだ。

たしかに、仕事の原稿をお待たせしながらこんなものを書いていることについて、後ろめたさを感じないといえば嘘になる。と言って、その編集者さんの目を気にして「忙しい、忙しい」とか「ごめんなさい、ごめんなさい」ばかりを書くくらいなら、そんなものは最初から書かないほうがいいのであって、一度書くと決めたのであれば誰にどう思われようと書くしかない。

古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』という本をつくるにあたって糸井重里さんに取材したとき、糸井さんはクリエイティブに関するとても大切な戒めのことばを教えてくれた。


クリエイティブにとっての最大の敵となることば、それは「そんなことやってる場合じゃない」だ。

このことばは非常な説得力をもって他者を縛り、窒息させ、つまらなくしてしまう。クリエイティブを、たのしみを、さらにはライフそのものを、奪い去ってしまう。誰かから「そんなことやってる場合じゃない」と言われたときはもちろんのこと、自分でそう思ってしまったときは、なおさら気をつけよう。「そんなこと」こそが、ぼくらを育ててくれるのだ。意訳すると糸井さんは、そういうことをおっしゃった。

ぼくにとってこの note がクリエイティブの場なのかどうかはともかくとして、まわりから「そんなこと」扱いされるような場であり、時間であることは間違いがない。

だからこそぼくは、きょうのようなドタバタな日も、懲りずにこれを書いているのだ。