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才能なんかほしくない。

ぼくが小学生のころ、江口寿史さんが「ミュージシャンは昔の曲を演奏して拍手喝采を浴びるのに、マンガ家が昔のマンガを再演することはできない。常に新作を求められる。ずるいじゃないか!」みたいな内容のギャグマンガを描いていた。

もちろんギャグマンガとして描かれたことでありながら、たしかにそのとおりだよなあ、と思っていたんだけど、ほんとうにそうなのだろうか。

昨日、ブライアン・ウィルソンの来日公演を観た。歴史的な傑作である「ペットサウンズ」の発売50周年を記念した、同作を全曲通しで演るライブだ。

ファンであれば知っていると思うけど、近年のブライアン・ウィルソンはもうまともに声が出ない。高音の伸びが、みたいなレベルではなく、ほんとうに声が出ない。そしてファンは、50年前の全盛期に録音された「あのときの声」を、いつでも脳内再生できるくらいに聴き込んでいる。ステージの上では、優秀なミュージシャンたちの手によって、限りなく「あのときの音」に近い音が再現されている。

そんな客席とステージの、自分以外の全員が50年前にタイムスリップしたような空間で、スポットライトが灯される。あのときの音が鳴らされ、「さあ、歌え」と言われる。才能と全能感に酔いしれていた50年前の自分が、世界にあっかんべーするようにつくった楽曲がいま、周りまわって年老いた自分を追いつめる。「お前の番だよ」。50年前の自分が笑う。

「お前だって、こうやって幾多の凡夫を笑い、突き落としてきただろ?」


なんか、ものすごいものを観ちゃったなあ、というのが正直な感想だ。当人も含めたすべての表現者に、不幸だけをバラ撒いていく才能。幸せでいられるのは、ぼくら呑気な観客だけだよ。