見出し画像

3年先の自分に向けて。

うまく年を越せれば、の話ではあるのだけれど。

年末年始は最低でも4日間、しっかり休む予定でいる。大晦日から年明け3日まで。それが正月だということを度外視して考えれば、ぼくにとってはかなりの長期休暇である。どうせどこにいくわけでもなく、家でおせちを食べたり犬を撫でたりするだけの4日間なのだ。いや、ラストスパートをがんばれば5日間の休みが取れるかもしれない。

それだけの日数があれば、いくらぐずぐず好きな遅読家のぼくであっても、何冊かの本を読むことができるだろう。そのうち1冊が年明けに締切のある書評用の小説なのは仕方のないことだとしても、買いためていた本を存分に読むことができる。

こういう本読みをぼくは「3年後の読書」と読んでいるのだけど、きっと3年くらい先の自分を支えてくれるであろうジャンルの本を、いま何冊・何十冊と買いためている。いま自分が抱えていたり、考えていたりする仕事は、せいぜい長く見積もっても、3年先にはかたちになる。なんらかの本や、それに類するコンテンツになる。そして手持ちのカードがゼロになった3年後、「よし、いよいよこれに取りかかるぞ」と腕まくりできるような土台を、いまのうちに育てておくのだ。3年後に「ああ、あのときこれを読んでてよかったなあ」と思えるような本を、どっさり山ほど読みためておくのだ。そんなふうに振り返ることのできない無駄本も含めて片っ端に。

3年先の未来なんて、なんにもわからないじゃないか。テクノロジーがどう発達し、自分がなにを求め、世のなかがなにを求めているかなんて、予測のしようがないじゃないか。それでなくともトレンドに疎いお前に、3年先のなにがわかるというのか。

そんな意見もあるかもしれないが、ぼくは能天気に「わかるに決まってるじゃん」と思う。3年先のことはわからなくても、300年前のことならわかるよね、と。100年前、200年前、300年前の人たちがなにを考え、なにを求め、なにを悩んできたかを考え、知っていけば、それはきっと3年先のぼくたちにとっても切実な問題なんだよ、と。このあたりの詳細については、いまから5年前に加藤貞顕さんと話したコンテンツ(前編後編)が残っているので、興味のある方はぜひご一読いただきたい。

いまぼくは、3年先に向けておおきく3つのジャンルの本を、どさどさ買いためています。世のなか的には「古典」と呼ばれるものたちを。