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空腹のバラード。

腹が減っている。

たぶん毎日、どこかの瞬間においてぼくらはかならず、腹が減っている。面倒くさい比喩などなしに、ただ「腹が減っている」とだけ書けばそれで、ほとんどの人がそこにある「感じ」を理解してくれる。事実いま、ぼくは腹が減っている。

「うれしい」や「かなしい」もおそらく、みんな毎日のように経験し、その感じを自分なりに理解している。だから「うれしい」と書くだけで、自分の気持ちを説明できたような気になってしまう。

なってしまう、と書いたのは、それでほんとうに「説明」できたといえるのか、いささかあやしいと思われるからだ。


そもそも「腹が減っている」ということばは、空腹という生理現象に合致する出来合いのことばを、なんの考えもないまま持ってきただけのことだったりする。なぜ腹は「減る」のか、どうしてほかの動詞ではないのか、たとえば「さわぐ」ではいけないのか、「鳴く・泣く」ではいけないのか、そんなことなどなにも考えないまま「腹が減っている」と口にする。当然ぼくだって、考えない。

で、「腹が減った」とか「うれしい」とか「かなしい」とかの感情を、そのままのことばに乗せず、もっと自分の「感じ」に近づけて説明しようとするとき、比喩が生まれ、表現が生まれる。


いま、ぼくは猛烈に腹が減っている。

ほかにどういう言いまわしができるかなあ、と考えながら「細る」はどうだろうと思いついた。ほそる、であれば空腹時の心細さもその背後に描けるような気がするし、胃袋が物理的に細ったさまを視覚化することもできる。

なんのことはない、ただおなかが空いているのだ。そしてぼくはこれから家に帰り、細った腹を太らせるのだ。それだけの話なのである。