どうでもいい話しか出てこないとき。

すぐさま原因を突きとめたものの、さすがにちょっと焦ってしまった。

今年の西暦が何年なのか、一瞬わからなくなってしまったのである。2020年のような気がする一方、それは東京オリンピック・パラリンピックの開催年であるはずで、つまりは来年であるはずだ。すなわち今年は、2019年だということになる。そこまで頭をめぐらせつつも、いまいち確信を抱くことができず、グーグルで「今年 何年」と検索してようやく、2019の数字を受け止めるに至った。

西暦を見失った原因はもちろん、令和フィーバーである。

このひと月あまり、毎日何回何十回と「令和」のことばを聞かされ、自分でも意識し、ネットやテレビのみならず印刷物にさえ「令和」の文字を見つけて「わあ、ここにも令和が」なんて浮き足立っているうちにポンと、西暦が飛んでしまったのである。

一方、東京オリンピック・パラリンピックの開催年については「2020」以外の数字ではピンとこず、「令和2年」の響きがくすぐったく感じてしまうのはやはり、いまだフィーバーのさなかにいる証拠なのだろう。


と、ここでぼくが書きたかったのは令和フィーバーに関する話ではなく、今年が西暦何年なのかについて「2020」から1を引いて「2019」とした、その思考回路の話である。

現代社会に生きるわれわれは、さまざまな場面でとっさの判断を迫られる。そして落ち着いて考えればわかるはずのことも、とっさの場面では頭が真っ白になり、混乱することがある。ぼく個人の日常で言えば、飲食店をはじめとする商業施設の、ドアの前に立たされたときがそれだ。

ドアノブ付近に記された「PULL」の文字を前にしたぼくは、ほとんど毎回「あれ? これって押すんだっけ、引くんだっけ?」と頭が真っ白になる。そして「いや、押すのは『PUSH』だよな。だから『PULL』は引く、なんだよな」というひと手間を経て、おそるおそるドアノブに手を掛け、それを引く。この歳になっても毎回そうなのだから、たぶんおじいちゃんになっても同じようにしているのだろう。同じ「P」ではじまる4文字単語、みんなは混乱しないのだろうか。迷うことなく確信を持って引けているのだろうか。


……と、こうしたどうでもいい話を書いているときのぼくは、頭がからっぽになっているのではなく、「ぜひとも書きたい話」で頭がいっぱいになっている場合のほうが多い。じつはいま、昨夜聴講させていただいた「ほぼ日の学校・万葉集講座」での梯久美子さんのお話、その興奮からまるで抜け出せず、とはいえ安易にことばにしてしまうのはもったいなく、結果西暦だのドアノブだののお話しか出てこないのである(あっ、それもあって西暦が飛んじゃったのかな)。

ともあれ「ほぼ日の学校・万葉集講座」、まだ当たりくじしか引いてない。このおもしろさを本にまとめて伝えるのはむずかしいんだろうけど、なんとかどうにかもっとたくさんの人と共有して、あれやこれやと語り合いたいなあ。

ビジネスセミナー的な「自分たちだけが知っている極秘情報」にならず、「もっとみんなでシェアしたい」「みんなでこれを語り合いたい」と素直に思えるところが、この万葉集講座の魅力なんだろうなあ。

椅子の上にも3円。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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