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あたまのすみっこに目を凝らそう

1年間、休むことなくブログを書いたらどうなるんだろう?

今年のはじめあたり、いろいろ想像していました。

たとえば1年経って、さらさら読み返したとき、「ああ、3月頃ってこんなふうに考えてたんだなあ」とか「そっか、7月にはあれに苦しんでたんだ」みたいな、じぶんの足跡がいっぱい残っている。なんとなく、そういう場所になるんだろうなと予想していました。

ところが、いま3月や7月に書いたものを読み返しても、当時の自分はあんまり見えてきません。「あのころのオレって、こんなふうに考えてたのか」みたいな感慨が、ほとんどないのです。

なんというか、この note という場でぼくは、「あたまのすみっこで考えてること」ばかりを書いてるんですよね。あたまの真ん中で考えてることは、ほとんど書いてない。だって、あたまの真ん中にあることを書きはじめたら、1週間でも2週間でも同じテーマに踏みとどまってしまいますから。わるい意味で内向的な、鬱々としたひとり言になってしまいますから。

むしろそういう鬱々の深い海から顔を出して、新鮮な空気を肺に取り込むように、「あたまのすみっこ」にある景色を言葉にしているような気がします。


いやー、先日 cakes の加藤さんに「毎日書くの、慣れました?」って聞かれて「ぜんぜん慣れないし、まじ大変っす」と即答したんですが、じゃあ辞めたいかと聞かれたら、うーん。

1日のうちでこれを書いてる時間、考えてる時間が「あたまのすみっこに目を凝らす時間」だとしたら、それは失いたくないなあと思っているところです。