逃げられないから、逃げるんだ。

いったいカツオは、なにを慌てているのだろう。

夏休みのこの時期、カツオは毎年夏休みの宿題に追われている。サザエから叱られ、ワカメにたしなめられ、タラオから頓狂なアドバイスを受け、居間に陣どる波平の目を、逃れようとする。小学生のころ、ぼくはその気持ちがまるで理解できなかった。自分のなかに「夏休みの宿題を出す」という選択肢が、まるっきりなかったのだ。カツオの学校はたいへんなのだろうなあ、と思うくらいしかできなかった。

作家の浅生鴨さんから「 #8月31日の夜に 」というハッシュタグとその企画趣旨を教えられ、じぶんもなにか書いてみようと思ったものの、宿題ひとつをとってもそんな体たらくで、ぼくは 8月31日の夜について書くべきことをあまり持っていない。ただ、「思えばあそこからはじまったんだよなあ」という夏の終わりについての話を、ひとつ思い出した。長くなるだろうし、うまく書けるかわからないけれど、書いてみたい。そしてもし、不安な夏休みを過ごす10代の誰かたちに届いてくれたら、うれしく思う。


8月31日の夜に。


小学4年生の夏、ぼくは転校した。

福岡県の北九州市から、筑後地方のちいさな町に引越した。転勤族の家庭に生まれたぼくにとって、4校目の小学校だった。新学期の9月1日から、あらたな小学校生活がはじまる。今度のクラスは4年4組らしい。転校するのは嫌いじゃなかったし、ぼくは新学期をたのしみにしていた。

ところが転校先の4年4組は、まるで勝手が違った。ぼくのことを「都会からやってきた生意気なやつ」として扱い、ちっとも仲間に入れようとしなかった。ほどなく上靴を隠したり、給食袋を隠したり、体操着を汚したり、わかりやすい「いじめのようなもの」がはじまった。けんかになり、彫刻刀で切りつけられたこともあった。担任の先生はそれについて裁判めいた学級会を開き、傷口をおおきくするばかりだった。

なんなんだ、このバカ学校は。このバカ教師は。ぼくは、ほとほとうんざりした。こっちだって、すき好んでこんなところに来たわけじゃない。向こうの小学校には、友だちがたくさんいるんだ。好きな先生もいて、たのしく学級委員をやったりしてたんだ。それをお前らは、なんなんだ。お前らがそんな態度をとるんだったら、おれは帰るぞ。


ぼくは、ほんとうに帰った。

遠く離れた北九州市の、一学期まで通っていた小学校を、ひとり訪ねたのだ。秋に開かれた運動会の翌日、代休となった月曜日に。


半年ぶりくらいに訪れた小学校。一学期のおわりに「お別れ会」を開いてくれた、なつかしい4年2組。同じ校舎の同じ階、同じ場所にそのプレートはかかっている。教室のドアを勢いよく開くと、クラスのみんながどよめいた。担任の先生は泣き出さんばかりの笑顔でよろこび、友だちみんなが駆け寄ってきた。「どうやってきたの?」「きょう学校は?」「向こうの先生に怒られないの?」。まるで大掛かりな手品でも見たかのように、みんなが目を丸くしている。先生がどこかから余った机と椅子を持ってきてくれた。その日一日、ぼくは4年2組のひとりに戻った。みんなと授業を受け、みんなと給食を食べ、みんなとあそんだ。無敵だった。

そして給食が終わるころ、担任の先生がひそひそ声で訊いてきた。


「むこうの小学校では、だいじょうぶ?」


それまでぼくは、みんなに「むこうの学校がどんなにたのしいか」を力説していた。こんなやつがいるんだよ、運動会ではこんなことをするんだよ、古い古い体育館は「講堂」って呼ばれているんだよ、みんなとすぐになかよくなって、もうたいへんなんだよ。

にもかからわず先生は、「むこうの小学校では、だいじょうぶ?」と訊いてきた。心配そうな顔をして。


ぽろぽろと、涙がこぼれた。

だいじょうぶと言いたいのに、あかるく笑いたいのに、喉の奥に石ころが詰まったみたいになにも言えず、ぽろぽろぽろぽろ、涙がこぼれた。ぼくはなにをしてるんだろう、とはじめて思った。あそこに帰らなきゃいけないんだと、ようやく気がついた。それは、そう。たとえるならぼくがはじめて経験する「8月31日の夜」だった。


翌日から、なにかがおおきく変わったわけではない。転校先の4年4組は、相変わらず居心地の悪い、バカな学級だった。自分のことを「都会っ子」だとは思わないけれど、こいつらはどうしようもない「田舎もん」だと思っていた。なかよくなる必要はないし、相手にするつもりもない。仲間はずれしたければ、おおいにけっこうだ。お前らなんて、こっちから願い下げだ。

でも、ひとつはっきりしたことがある。

もう、帰る場所はない。ここで生きていくしか、ほかにないのだ。


けっきょくぼくは、翌年から地元の剣道クラブに入った。ふつうは3年生からはじめるもので、翌年(つまりは5年生)からはじめるのはイレギュラーなのだけど、それでもいいから剣道クラブに入った。学校以外に、自分の帰る場所をつくりたかったのだ。残念ながらそこで、大親友ができたわけではない。それでも自分に「学校とは別の場所」があるのは、とてもありがたいことだった。

長々と書いてきたわりに、なんの教訓もない話だ。

おとなたちは簡単に「逃げろ」と言う。苦しんでいる子どもたちに、さも簡単な選択肢のようにして「逃げろ」と告げる。でも、ひとりで生きることのできない子どもたちにとって、ほんとうの意味での「逃げる」は、むずかしい。不可能と言ってもいいかもしれない。たとえ逃げたとしても、また日常のなかに連れ戻される。逃げていった先で、自分がどうやっても逃げられない立場にいることを、突きつけられる。

でも。

一度でも遠くに逃げた経験をもっていると、たぶん連れ戻された日常のなかに「ここでの逃げ場」を探したり、見つけたり、つくったりが、ほんの少しだけ上手になるのだ。

逃げてもいいよ。逃げたほうがいいよ。そしてもうわかってると思うけど、どこまで逃げても、たぶん逃げきれないよ。また同じ場所に、連れ戻されるんだよ。でも、たいせつなのは逃げることじゃないんだ。「逃げかた」を、おぼえることなんだ。一度「逃げかた」をおぼえてしまえば、どこにだって自分の居場所はつくれるから。バカなやつらの、バカさ加減に気づいたきみだったら、きっとできるから。

そしておとなになれば、誰からも連れ戻されない場所まで、逃げていくことができるんだ。

45歳のぼくは、いまそんな場所にいる。

それが希望になるかどうかはわからないけれど、事実としてぼくは、逃げて逃げて、ここまでやってきた。


その最初の一歩は、最低だった運動会の翌日に逃げ帰った、前の小学校だったんだ。

桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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コメント5件

逃げたかたを覚えるんだよ。という言葉がとても響きました。

とっても居心地の良い場所をやっとの思いで見つけて
でも、何処に行ってもどうしても相性の悪い方はいるもんで普段は接点がないのに
ちょっとした事がきっかけで嫌な思いをして………真っ正面から向かい合うんじゃなかった。
なんて思い知られました。

励みになります。ありがとうございます。
私も学生時代辛かった時、久しぶりに会った恩師から大丈夫か?と言われ涙がポロポロ出てきたのを思い出しました。その人の前では嘘がつけない、そんな先生の存在も有り難かったなと今思います。大人にも心に響きました。ありがとうございました。
私は2つの幼稚園、4つの小学校、2つの中学校に通いました。イジメというほどのことは経験しなかったし、何処にも逃げ出したことはありません。でも、いつも此処は仮住まいだから、取り敢えず目の前の事だけ考えようと思っていました。言葉を笑われて悔しかった時も、可笑しいのは貴方達の方よ、と心の中で思っていました。今思うと、一つ所に縛られなかったのが救いだったのでしょう。 自分のことはがりで申し訳ありません。
私はいい歳しすぎた大人ですが、あたたかい言葉が、弱りきっていた心にしみました。
ありがとうございます。
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