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人生のボリューム

酔っぱらい、とされる人が疎まれる理由の何割かは、その声の大きさにある。

きのうもちょうど、会社近くのうどん屋さんで、50代くらいのサラリーマンふたり組が大声で酔っぱらっていた。会計時、たどたどしく金額を読み上げるアジア系の店員さんの発音を笑い、「さんぜん、はっぴゃく、はちじゅーえんだよ! ほら、もういっかい言ってみな。げらげら」などと不愉快極まりない絡み方をしていた。ああ、ぶん殴りてえ。酔っぱらい、ほんと嫌いだわ。

それで、どうして人は、酔っぱらうと声が大きくなるのか。

たぶんアルコールの作用によって、のどちんこの奥にあるボリューム調整装置がぶっ壊れるのだろう。とはいえ、ただ「ボリュームの調整が効かなくなる」のであれば、酔っぱらって声が小さくなる人がいてもおかしくない。半数とはいわないまでも、3割くらいの酔っぱらいがぼそぼそ小声で話してないとおかしい。酔えば酔うほど小声になっていく泥酔者の集団。見てみたい。

しかしながら現実の酔っぱらいは、ぼくも含めてみな大声だ。

だとすれば、人は本来、あれくらいの大声でしゃべりたいのではないか。大声でしゃべりたいけど、理性がそれを「敵に見つかっちゃうよ」とか「みんなに迷惑だよ」とか抑えつけ、つねにボリュームを絞りながら毎日を生きているのではないか。

わーっと大声を出したい。この原稿がおわったらカラオケでも行こうかな。