夏休みよりも好きだった一日。
さあ明日から夏休みだ。
通信簿をもらい、机の引き出しを整理して、宿題やら給食袋やらの荷物をわんさか抱えたタイミングで、担任の先生が衝撃的なひと言を発した。たしか、小学3年生のころの話である。
「先生たちには、夏休みはありません」
教室じゅうにどよめきが起こった。ええー、なんでなんで、学校休みじゃないの? 「先生たちには、夏休みにもお仕事があります」。ちょっと誇らしげに背を伸ばして語る先生を、ぼくは心底かわいそうだと思った。先生に、「お仕事」とやらをさせているであろう校長先生を、恨んだりもした。じぶんの父親や、世間のサラリーマンに夏休みがないことなどいっさい考慮せず、ただただ「夏休みのない先生」を気の毒に思った。
じつはいまでも、夏休み期間中の教職者がなにをやっているのか、くわしくは知らなかったりする。いろんなことをやってるんだろうけど、そりゃ休んでるわけないよね、とは思うけど、やっぱりかわいそうだなあと思う。
子どもたちのいない夏の学校は、ひどくさみしい空間だろう。朝からずうっと座りつづける職員室の机は、ひどく窮屈な空間だろう。声もなく、影もなく、うるさいと怒鳴ることさえできなくなった校舎のがらんどうは、いろんな気力を奪いとっていくものだろう。
夏休みが終わり、日焼けした子どもたちが集まると、学校はふたたび動物園のような、なつかしい狂騒につつまれる。
夏休みがはじまるときよりも、すきなだけあそびまわる夏休みよりも、ぼくはあの二学期の始業式にある浮ついたざわめきが、いちばん好きだった。わけもわからず照れ、やたらどきどきした。
夏休みの先生たちがそうであるように、夏休みが大好きだったはずのぼくたちもまた、さみしかったのかもしれない。
あたらしい出会いもいいけど、照れくさい再会は、もっといい。