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はじめての癒やし系。

ツイッターやフェイスブック、インスタグラムの成功以来、たくさんのSNSアプリが世に出されてきた。IT感度のかなり低いぼくでさえ、これまでいくつものアプリをダウンロードし、登録し、ほんの少しだけ使ってみた。いまやアプリの名前さえ思い出せないものも多く、当然さわっていない。あそこではいまも、ネットワーキング的ななにかがくり広げられているのだろうか。

このまえの日曜日、世間的には「あたらしいSNSアプリ」とされるであろう「ドコノコ」がスタートした。

紹介ページの1行目には「ドコノコは、犬と猫と人が、親しくなるためのアプリです」と書かれている。なかよくなるため、ではない。むりになかよくならなくてもいいから、親しくなろう。親しみを育てよう。そんな思いが感じられる一文だ。

じつは先月の段階で、糸井さんやほぼ日の方々のご厚意により、ぼくは「ドコノコ」のβ版をダウンロードさせていただいていた。ダウンロード直後から、あっという間に虜になった。「ひろば」を眺めているだけで、にやにやしてしまう。あのコもかわいい、このコもかわいい、犬も猫も、みんなかわいい。

そしてしばらくすると、どうしてこの「ひろば」がこんなにおもしろいのか、はたと気がついた。

あたりまえのようだけど、ここには犬と猫しかいないのだ。ひろばに「人」がいないことが、こんなにも気持ちいいのか。


SNS疲れ、ということばをよく耳にする。我田に引水するならば『嫌われる勇気』が売れたのはSNS疲れの世相を反映しているのではないか、という指摘をいただくこともよくある。

つながろうとして始めたはずのSNSの、なにが疲れるのか。たぶん、それは近いのか遠いのかわからない距離感に疲れるのだし、過剰や丁重のことばたちに疲れるのだし、要するに対人関係そのものに疲れ果てるのだ。


β版ドコノコの「ひろば」に夢中になりつつぼくは、少しだけオープンが怖い気がした。もしもこの広場に「人」が入り込んできたら。人間だらけの広場になってしまったら。きっとそこは「疲れる場所」になってしまう。みんなこの「ひろば」のルールを守ってくれるのかしら。ドコノコを好きになっていくほど、不安は高まっていった。


そして公式スタートから数日が過ぎ、たっくさんのひとたちが利用するようになった現在、「ひろば」で人間の姿を見かけることはかなり少ない。ゼロではないけど、想像していたよりもずっとずっと少ない。みんなすごいなあ、と思う。


犬も猫も、みんなかわいい。

それを撮ってるあなたも、みんなかわいい。

ぼくたちはドコノコの「ひろば」で犬や猫だけを見ているのではない。カメラを構えた人間と犬や猫たちの「関係」を見ているのだ。なんともまぬけな表情をした犬がそこにいるのは、カメラを向ける飼い主さんがそこにいるからだ。無防備にもほどがあるポーズで寝そべる猫がそこにいるのは、カメラを向ける飼い主さんがそこにいるからだ。


どうかこのまま「ひろば」が育ち、世界中の犬や猫であふれるようになってほしい。疲れっぱなしのSNSアプリで唯一の、文字通りの「癒やし系SNS」なんだもの。これ、「癒やし系」ってことばにすると陳腐だけど、かたちにするのはめちゃくちゃ大変なことですよ。