努力賞だと考えよう

優勝だとか準優勝だとか、金銀銅のメダルだとか、ヒットだとかホームランだとか、そんなのみーんな「努力賞」だと考えよう。

あらゆる結果は努力賞。そう割り切ってしまえば、自分が駄目な理由も見えてくるんじゃないか。自分がやるべきこともわかるんじゃないか。

努力が報われないことは、当然ある。才能なのか運なのか、へらへらした人が結果を出しまくることも、当然ある。もしかしたらその人も、見えないところでたくさん努力しているのかもしれない。ぜんぜんしていないのかもしれない。どっちにしても、自分がやるべきことは変わらない。

たとえ運よく結果が出たとしても、それを努力賞だと考えれば、うぬぼれてなんか、いられない。もっとたくさんの努力をしないと「次」には行けないのだから。天狗になるどころか、やっべえなあ、と気を引き締めることができる。

たのしげに飲み歩いている人たちを横目に、自分だけが黙々と働いているような気になることもある。どうしてこんなに苦しいんだろう、と声に出したくなることもある。もっとラクな生き方もあるはずなのに、と嘆きたくなることだって当然ある。

でもそんなときには、自分が努力賞をめざしていることを思い出そう。

一等賞をめざしているんじゃない。ただただ、努力賞をめざしている。だったら、汗をかくのは当たり前じゃないか。文句があるなら、めざさなきゃいいだけだ。

いつのころからか、そんなふうに思いながら仕事をするようになった。

あらゆる結果とは、努力賞である。苦しくもないし、根性論でもない、いまのところいちばん納得できる答えだ。

鬼にカネボウ。
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古賀史健

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