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抽象のことばから具体のことばへ

正月が明けた年始の、いつだったかの話。

NHKのBSで『奇跡のレッスン』という番組を再放送していた。その分野のトップコーチたちが中学生や高校生に教えをほどこし、彼らが変化していくさまを追っていく、というドキュメンタリー番組だ。ぼくが観たのはラグビー元日本代表監督、エディー・ジョーンズさんの回。現イングランド代表監督でもあるエディーさんは文字どおりに世界を代表する名将だし、昨年縁あってぼくは彼にインタビューさせていただく機会を得ていた。さすがに観ないわけにはいかない。

今回エディーさんがコーチしたのは、東京都の強豪・目黒学院高校。エディーさんが指導するのは番組史上もっとも短い5日間で、最後の1日は練習試合なので実質4日間だった。4日間で足が速くなるはずもないし、技術が向上するわけでもない。変わるものがあるとすればただ、意識だけだ。うろ覚えのまま番組を振り返ろう。

初日からエディー節が炸裂する。まずは高校生たちに普段どおりの練習をしてもらい、その様子をじっと眺めるエディーさん。高校生たちは緊張しながらも張り切って練習している。すると通訳に向けてエディーさんがひと言。「ダメだ、ぜんぜん声が出ていない」。試合形式の練習で、高校生たちはちゃんと声を出しているように見える。若きラガーマンたちの野太い声が、グラウンド脇のマイクにもしっかり届いてくる。こちらの疑念を察したようにエディーさんは言う。「たしかに声は出ている。でも、わあわあ騒ぐだけで、なんのコミュニケーションにもなっていない。あれじゃ居酒屋のサラリーマンと同じだ」。

そして高校生たちを集めて「きみたちには3つの強化ポイントがある」と切り出したエディーさんは、それぞれのポイントをわかりやすく、ジョークと日本語を織り交ぜながら説明していく。そして説明しおわったあと、いかにも内気そうな、けれども大柄な生徒に向かって問う。「おい、きみ。ちゃんと聴いていたか?」「あ、はい」「じゃあ、2番目のポイントはなんだ?」「え、え、えっと……」「どうやら部室に脳味噌を忘れてきたようだな。探しに行ってくるか? どこかに転がってるかもしれないぞ」。冗談とも本気とも付かない叱咤。「3つのポイント」はいわば前フリで、「脳味噌を使う」といういちばん大切なポイントを伝えたかったことが、ここで明らかになる。そしてエディーさんはこう付け加える。「でも、タックルはきみがいちばんよかった。あとは声を出して、脳味噌を使うことだ」。

ぼくは、ラグビーの技術的な指導について、エディーさんのどこがどうすごいのか、判断するだけの知識を持っていない。ただ、素人ながらに膝を打ったのはエディーさんが攻撃時のフォローの動きを説明したときだ。

よく知られているようにラグビーでは、自分より前にいる味方選手への(手を使った)パスが禁じられている。パスは横へ、あるいは後ろへ回しながら、少しずつラインを上げて攻撃していくのがラグビーというスポーツの基本だ。

なので攻撃時、味方選手にパスを出したあとの動きが問題になる。パスを出したあと、ボールを持っている味方選手よりも前に出てしまえば、もうパスを受けることができない。その選手はフィールドのなかで死に駒となって盤上をさまようことになる。パスを出したら、その選手のうしろに回り込んで、次なる展開を誘発する動きをとらなければならない。目黒学院の選手たちは、この動き(フォロー)が、うまくできていなかった。

するとエディーさんは練習を止め、みんなを集めてこう説明する。「いいか、味方にボールをパスしたら、その選手のうしろに回れ。うしろに回って、その選手の背番号を確認するんだ。背番号が見える場所まで行けば、フォローもできる」。


「味方のフォローに回れ」は理念のことばであり、抽象のことばだ。

「味方の背番号を見に行け」は行動のことばであり、具体のことばだ。


ぼくはバトンズという会社で、あるいはひとりのライターとして、「教える」ということを大切なテーマにしてきたつもりだったけど、どうしてもそこでのことばは抽象に寄ってしまう。正しくとも、つかみどころのない抽象や姿勢、態度のことばに。だから最終的には、山ほど朱入れをすることによって具体を「教え」ざるをえなくなる。

きっとエディーさんは「どうすれば伝わるか?」を山ほど考え抜いてきた指導者なのだろう。その答えのひとつが「味方の背番号を見に行け」なのだろう。

具体のことばで考える。これは今年の大きなテーマにしたい、ひと言だ。


※ ちなみにエディーさんが指導した目黒学院は今年の都大会で優勝し、4年ぶりの全国大会出場を果たしました。そして「脳味噌を探してこい」と叱られた2年生の補欠選手(岩上くん)はレギュラーを獲得し、全国大会でも大活躍したそうです。