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ビッグに、リッチに、それはつまり。

感慨深い、というほどではないにせよ。

時代はちゃんと変わっているのだなあ、ぼくが若かったころの時代はもう、「むかし」という呼び名になってしまったのだなあと思いつつ、ぼくは通勤電車に揺られていた。今週末からのネパール旅行にむけて募集させていただいた質問(お送りくださった方々、ほんとうにありがとうございました)を読んでいたのである。

むかし、ぼくが若かったころ。ライターという職業について寄せられる質問のなかで、けっこうな割合を占めていたのが「わたしはライターになりたいのだが、どうすればライターになれるのか。やはり出版社に就職することがライターの第一歩なのか」という問いだった。

要するに「ハウ・ツー・ビー・ア・ライター」についての問いである。


しかし、今回お寄せいただいた質問もそうだし、他の場所でもそうなのだけど、いま「どうすればライターになれるのか」を問われることは、ほとんどない。むしろ多いのは、どうすればでっかく稼げるのか、つまりは「ハウ・ツー・ビー・ビッグ」もしくは「ハウ・ツー・ビー・リッチ」方面の問いばかりで、「アイ・アム・ア・ライター」は当たり前の大前提になっている感がつよい。

たしかに現在、金額や仕事内容を横において考えれば「原稿らしきものを書いて、お金をもらうこと」は誰にでもできる世のなかになっている。正確に数えることはできないだろうけど、いまのライター人口は、間違いなく史上最高だろう。

ただし。

競技人口が増えるほど競争も激しくなり、よりたくさんの才能が生まれる、というのがスポーツ分野における常識なのだけど、どうも現在のライター界にはその循環が生まれている気がせず、むしろ競技レベルの低下すら懸念されるように感じられるのはぼくがおじさんだからなのだろうか。

むかしはもっと「おもしろい人」や「それを好きな人」が集まっていた場所だったのに、ビッグやリッチを夢見る人たちの宝くじ売り場みたいな場所になってきた感があるのは、やはりぼくがおじさんだからなのだろうか。

ちなみにいま、ビッグとリッチを夢見る人たちを「ビッチ」と短縮できることに気がついて、すこしだけうれしくなっている。