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正解なんか言いたくない。

まだまだずっと先の話なのだけど、雑誌連載をやることになった。

じぶんの主戦場であるビジネス誌ではなく、なんとびっくり文芸誌。とはいえ小説やエッセイではなく、書評の連載。きょう、簡単な打ち合わせを終え、秋くらいのスタートですかね−、みたいな感じで話を終えた。

ここ数年、趣味的に小説を読む時間がめっきり減っていたので、仕事まじりに小説を読めるのはありがたいかぎりである。


小学生のころ、ぼくは作文や読書感想文が嫌いだった。

そこではいつも「いいこと」を言うように求められていた。道徳的で、人道的で、社会正義にかなった、「とてもいいことに気づきましたね」と花丸をあげたくなるような、「いいこと」ばかりが求められていた。

そして小ずるく、小器用に、教師たちの求める「いいこと」を、半ば信じきったような顔つきで書いてしまうじぶんが、これまた嫌だった。そこでついたウソをほめられて得意気になるじぶん、ちょろいもんだ、と鼻先をこするじぶんも、やはり気持ちよくなかった。


中学の途中あたりから、不道徳なことしか書いてないような小説たちの存在を知り、読書感想文を求められるようなこともなくなり、ようやく本を読むことが好きになったのをおぼえている。

「(大人たちの求める)正解を言わなくてもいい」は、当時のぼくにとって、とてつもない自由だったのだ。ひょっとしたら、映画やロックを好きになったのも、それが大人たちと共有しなくていいものだったからなのかもしれない。


と、そんなじぶんがどんな小説評を書くのか。

まだまだ先のことなので、他人事のようにたのしみにしています。