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フィット感をめぐるTシャツの旅

じぶんの太りを主たる原因として、Tシャツの季節を厭世するようになったのは、何歳くらいのころだっただろうか。

徹夜がきつくなってきたなあ、と明確に実感したのは三十七歳のときだった。もともと頑丈なからだで滅多に風邪も引かないし、徹夜仕事が続いても「むしろここからが本番」くらいのノリで仕事に邁進していた。朝まで飲んでも次の日に使いものにならなくなるようなことは基本なかった。それが三十七歳を境にして、徹夜と深酒が、あからさまに翌日の体調を狂わせるようになった。たぶんそのころ、Tシャツがいやになってきたんじゃないかと思う。

それ以来、Tシャツをデザインだけではないフィット感も含めて、選ぶようになった。窮屈でないもの、さらにはデブに見えないもの、なんなら着痩せ効果のあるもの、を探し求めるようになった。

フィット感をめぐるTシャツの旅は、長く険しい。

買ってみて、着てみないことにはフィット感などわからない。当然Tシャツは店頭での試着がかなわず、競馬場のパドックで馬を見定めるように購入するよりほかはない。さらに「あ、いいな」と思うTシャツに出合っても、同一商品を購入しないかぎり同じフィット感のシャツに巡りあう可能性は低く、またゼロから出合いの旅が続く。


しかし三十七歳から五年が経ち、ぼくはようやくじぶんにぴったりのTシャツを発見できた気がする。着ていていちばん気持ちいい、いちばんラクで、いちばん着痩せして見える気のする、最高のTシャツに巡りあえた気がする。いっそザッカーバーグみたいにこのTシャツだけで人生を過ごしたいくらいの逸品に出合えた気がする。

なんとそれはファミマで売ってる無印良品Tシャツ、630円だった。


諦念としての「もうファミマの無印Tシャツでいいよ」ではない。

欲にまみれた「ファミマの無印Tシャツが、いい!」なのだ。

しかしおどろくのは、商品シールの説明書きに「ベーシックな形の半袖シャツです」と記されていること。少なからぬ年月と資本とを投下してきた旅の結末が、コンビニ規格の「ベーシック」であったこと。


おまえはなんの変哲もない、とりたてて優れたところも劣ったところもない、どこにでもいる平凡普通の人間なのだ。


わかっていたことだとはいえ、まさかTシャツにまでそんな指摘を受けるとは夢想だにしなかった。

今後、ぼくが無地の黒Tを着ていたら、百発百中でファミリーマート製です。存分にほくそえんでください。