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眠たいときに、眠たいことを。

多くの福岡人がそうであるように、ぼくは関西が苦手である。

関西に行くとたのしいし、ごはんもおいしい。いい人も多いし、たいていのものは揃っている。住めば都なんだろうなー、とは思う。けれども苦手意識が拭えない理由は、以前「アメトーーク!」の企画プレゼン回で博多大吉氏が提案していたくくり、そのひと言に尽きる。

すなわち、「関西こわい芸人」である。

世間の人たちから見ると、きっと福岡もこわい。暴力団も多く、ヤンキーも多く、方言はいかにも粗野で、福岡県警は「道端で手榴弾を見つけても触らないでください」なんて警告ポスターまで作成していたりする。インターネット界隈で「修羅の国」と呼ばれることも多い福岡は、十分にこわい土地だろう。

そんな福岡で生まれ育っておきながら関西(具体的にはたぶん大阪)をこわいと感じてしまうのは、やはり「ことば」なのだと思う。

方言は、どの地方にもある。青森にも、茨城にも、広島にも、沖縄にも、それぞれ特徴的な方言がある。当然福岡にもあるわけで、方言そのものをこわいとは思わない。

関西のことばが特徴的なのは、その過剰さだ。たとえば、「どつく」の先に「どつきまわす」があったり、「しばく」の先に「しばきたおす」があったりするような。あるいは、実際にどれくらいの人が使っているのか知らないけれど、「耳の穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ言わしたろか」なんてフレーズは、もはや方言の域を超えたなにかだ。

そして「どつきまわす」にせよ、「しばきたおす」にせよ、耳の穴から云々にせよ、関西特有の過剰な表現は視覚的イメージをともなったものが多く、妙におもしろかったり、豊かさを感じさせたり、言い負かされる恐怖を抱かせたりする。

関西のこわさは、「あのことばで押されると、ぜったいに言い負かされる」という饒舌さへの恐怖なのだとぼくは思う。


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ほんとはね、いまものすごく眠たくって、そういえばおれ関西弁の「眠たいこと言うな」って言いまわし、好きなんだよなーと思い出し、それについて書こうと思ったのでした。なのに書きはじめると、こんなぐるぐるになってしまうのは、まあ疲れているからでしょう。