2019年最大のチャレンジは札幌へのUターン

 家族が寝静まったこの時間に綴ろうと決めていた。2019年、私は起業以来のチャレンジをする。平成最後の年初めに、そこに至る思いをまとめたい。

 20年ぶりに、ふるさと札幌へUターンすることを決めた。

 18才の時に、札幌を後にして進学のため帯広に移り住んだ。それから20年。留学や季節的な仕事で離れることはあっても、十勝が拠点であることは変わりなかった。離婚してボロボロだった時にも、”実家に帰る”という選択肢は私の中に1ミリも存在しなかった。なぜかと聞かれても、十勝の空気感と、そこに暮らす人たちが好きだからとしか答えようがなかった。何となく合うから、ということが全てだったし、それで良いと思っていた。全力で十勝の、農業の応援団になろうと、ただ思っていた。

 31歳で事業を始め、子育てと経営を無我夢中で両立してきた。でも、十勝愛に溢れるUターンメンバーと関わるうちに、私の”ふるさと”ってどこだっけ、という気持ちが強くなっていった。

 ふるさと=田舎…?

 そんな固定概念が私の中にもあった。でも、私のふるさとは札幌で、それは変えようのない事実だ。札幌は大都会(北海道では)とひとくくりにされるけれど、放課後はキノコ採りをしていたし、原生林が通学路だった。正直、今の娘たちよりずっと自然が身近だった気がする。時が経ちマンションが増えたけれど、中学生の頃毎日のように立ち寄った古本屋さんは健在だ。改めて眺めると、下町的な温かさの残る私のふるさとも素敵だと思うようになった。

 北海道が大好きだから、一番北海道らしいところに住みたいんです。

 聞かれたらそう答えていた。その気持ちはもちろん嘘ではない。私は心から十勝が好きだし、十勝という地域も私を受け入れてくれた。

 でも理由はそれだけではないと気が付いたのは最近のことだ。

私は、親から離れたかった

 私は3人姉弟の長女だ。2つ下の妹と6才下の弟がいる。自分の娘を見ていても思うけれど、第一子というものは、親が望まなくとも”良い子”を演じるものらしい。私も例外ではなかった。できているかどうかは別として、気の利くお姉ちゃんで在ろうとしたし、勉強もスポーツも、センスはなかったけれど愚直に努力したからそれなりの成果を残した。

 努力する能力がついたから、今こうして何とか事業を続けていられている。でも、”良い子”であろうとし過ぎたから、いつもどこかで親の顔色を伺っていた。窮屈だった。

 大学を機に家を出て、それが一気に解放された。自分が自分で在れる気がした。そして十勝が、農家さんたちが、そんな私を受け入れてくれた。それが嬉しくて居心地が良かった。

 時は経ち、親も私も年齢を重ねた。さすがにもう人の顔色を伺う歳でもない。私のやってきたことを、家族は心から喜んでくれているし、応援してくれている。素直に有難いと思ったし、気が付いたら変な気負いがなくなっていた。

札幌と十勝を行き来する働き方をするようになるだろうな

 母はいつも、札幌においでと言ってくれた。介護者を抱えて長期間家を空けることが難しくなっていた。近くにいればいつでも見てあげられるのにと。父は多分、私の体調を気にしていた。そんな気持ちを素直に受け取れずに、私は爆走していた。でも、親に介護が必要になる頃には、札幌と十勝を行き来するような生活にしないといけないと、漠然と考えてはいた。

 でも子どもの成長に伴い、その考えは急速に現実的になった。私の一番の悩みとストレスは、出張や夜の会合の際に子どもたちをどうするかという問題だったからだ。友人知人の理解と協力を得て、何とか乗り越えて来たけれど、いつまでその生活を続けられるかと考えたら、どう考えても小学生までだった。思春期の娘を友人知人に預け回すことも、子どもだけで家に置いていくことも、私にはできない。だからといって、仕事を抑えることもしたくない。

 もう少し十勝で子育てがしたい、そんな気持ちもありながら、右腕の由美ちゃんに相談したのは、もう2年くらい前のことだったと思う。

それがいいと思います。

 彼女は即答した。あまりの迷いのなさにこちらが驚いた。

 もともと、事務所は自宅の1室だった。3時になると、「ただいまー!」と子どもたちが帰ってきて、事務所に上がり込み由美ちゃんとじゃんけんしてはおやつをもらうのが恒例だった。

 会社も成長していた。私と由美ちゃんの他に正社員として香子さんが加わり、ようやく会社の体制が安定してきた頃だった。健康が取り柄だった私が過労で入院するという事件が起こり、シャチョーがいなくても大丈夫!という自信と連帯感も生まれていた。

 私たちに任せて下さい、そう言われた気がした。仕事も家庭も、全てを見てきた彼女から出た言葉に、私は覚悟を決めた。

 それから約2年。次女には相変わらず反対されているけれど、時間をかけて子どもたちの気持ちの整理に付き合ってきたつもりだ。会社も、札幌に営業拠点を作る、と言っても驚かれないくらいに成長した。

 子どもも会社も、いい塩梅で成長してくれている。つくづく私はタイミングの良い女だ。

 とはいえ、もう少し十勝で子育てしたいという気持ちは捨てきれなかった。

 もう、充分がんばった。

 だから、自分で自分にそう言ってあげることにした。よく一人でここまでがんばってきたと。子どもたちにも、仲間たちにも、地域の皆さんにも、恥じることなんて何もないじゃないかと。一人でがんばるのを、ちょっとやめてみてもいいんじゃないかと。人生長いのだから、また十勝に腰を落ち着けて住む日が来るかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、それでいいんだと思う。実際、帯広で夜に出かけられる日は確実に増えると思うし。

 確かに不在日は増えるけれど、十勝の仕事は仲間たちがきっちりと進めてくれるから心配ない。私は札幌を拠点に、今ある事業の営業を強化する。ご縁があれば新しい仕事にもチャレンジしてみたい。もちろん、十勝とは行ったり来たりだ。今までも子育てや出張やらで事務所に長期間顔を出せないことはしょっちゅうだった。仕事のほとんどはクラウドやSNSで進めていることも、仲間たちの不安が少ない要因だろう。

 これを機に、次期からは役員を2名迎えることにした。そばで支え続けてくれた由美ちゃんと、初期から応援してくれている畑ガイドの坂口さんだ。一人社長で、個人事業に毛が生えたレベルだったいただきますカンパニーが、これでようやく会社としての自立の一歩を踏み出せる気がする。

 悩み続けて来たけれど、今はこの決断のおかげで、子どもたちも、会社も、そして私自身も成長できると確信している。

 来るべき時に挑戦はやってくるのだ。

 どんな2019年になるのか、楽しみでたまらない。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

17

井田芙美子

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。