私の舌に神は不在

一年振りくらいに訪れたかつて行きつけの定食屋のお気に入りの天津丼は、白い飯を包む黄色くやわらかなタマゴを、とろりとした餡でその全体を飴色に輝かせており大変食欲をそそる。これこれ、これよね。蓮華で掬えば湯気立ち昇る白米と弾力を感じさせるタマゴと餡とが層になって口の中で渾然一体となるのだが、なにやら今日は違和感がある。味が違うような気がする。よくある話といえば、よくある話である。ううむ、ハテサテと内心首をひねりながら黙々と天津丼を頬張る頬張る。渾然一体、渾然一体。

体があたたまって額に浮いた汗を感じ、いっしょに出された中華スープでひと息ついたところで、ハッとした。

なんと、自分の味覚が変わった可能性を考えていなかった。

その店で気軽に食べるには遠い場所に引っ越してからここ、これまで食べたり飲んだりしていなかった料理や酒に随分慣れていたのだから、多少の味覚の変化はあっても不思議なく、苦手だったものが食べられるようになるなど、人の味覚は変わるというのに、とんだ盲点。あちゃあ。と思考と反省を巡らせながら皿に相対し、傍目には一心不乱に米とタマゴと餡を蓮華でもって口に運ぶ。手前勝手に疑って悪かった、天津丼。

どちらが変わったのか、どちらも変わったのか、真実など分からないが満腹。そして満足。私の無用な一人問答を知る由もなく次の客次の客のために中華鍋をふるうその定食屋のおっちゃんを背に、勘定を済ませた私は「ごちそうさま。」と炎天下に戻ったのでした。

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