国歌と校歌

今現在の動きがどうなっているのか知らないのだけれど、学校など教育現場での国歌斉唱に関する議論が取り沙汰されていたときに、イチ学生として感じたことがある。ちなみに、別に国歌は好きではないし、嫌いでもない。なんなら、なくてもよい。それはさておき。

学生である私は、校歌も歌いたくはなかったのである。

一緒にするな、一緒に。とお思いだろうが、ジャパン国のあの歌詞について不満があるというのなら、私の場合は校歌にだって不満があったし、もっと踏み込んでいえば、そもそも歌詞云々よりも、集団的な一体感を強要されるようなあの雰囲気がそこはかとない恐怖であった。歌われている「対象」はともかく、歌うもの自身の自覚と認識を植え付けるような「用法」あるいは「道具」として、双方ともに対し同じ力の作用を感じるからなのだと気付いて、ひやりとした。

と内心怯えているのは私だけなのか、知らぬだけか、校歌斉唱が問題になったという話は耳にしたことがない。当時の私は、皆と一斉に立ち上がり口をパクパクしてやりすごしていたのですが、あのときもしも起立もせず、歌わずにいたならば、注意されたり、怪訝な顔をされたりしただろうか。先生。生徒諸君。

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