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忘れられない日々を過ごした新宿三丁目

「あの頃はよかった」という時期というのは誰にでもあるのだろうか。わたしはそんな話になると、いつも20歳ぐらいの頃を思い出す。池袋で一人暮らしをしていた普通の、やる気のない学生だった時。2003年から2007年ぐらいの頃。

当時の私は、昼は大学、夜は新宿三丁目の居酒屋でバイトをしている毎日だった。通っていた女子大には、なじめる友人がいなかったのに、なぜかその居酒屋に集まってきた他校の大学生、フリーター、主婦達とは意気投合した。そのおかげで大学の学問そっちのけで、バイトと、バイト後の飲み歩き、時々のクラブ遊びと気になるメンズとのデート、授業の合間の映画、そういうことに、明け暮れた生活だった。

そのころに出会った友人の1人は、それから10年以上たった今の私にとっての唯一の親友でもある。

当時、新宿に来る客達はとてもユニークだった。

落語家、時に芸能人、(多分、何かの撮影の後の打ち上げ)、ゲイコミュニティの面々、普通のサラリーマン、出勤前のキャバ嬢とその同伴相手、小劇場の役者たちなど。

それぞれに生活がありそれぞれに全く違った人生があるはずなのに、この新宿三丁目の居酒屋に、いっしょくたで飲み食いしているその光景は、なんだかとっても自由で、どこか希望に満ちていた。

私が当時、わざわざ山手線で住んでいた池袋から新宿まで(といってもたった8分ぐらいだが)移動して、その居酒屋で働いていた理由は、大学生ながらにもその新宿という雑多な立地、集まる人々に魅力を感じていたからだと、思う。

新宿3丁目という場所は立地的にも特にとても面白かった。新宿通りと靖国通りの間にあって、目と鼻の先にはぎらぎらした歌舞伎町があり、目の前には芸能人をよく見かけた伊勢丹新宿店があり、もっと歩いて高島屋をぬけて代々木のあたりまでたどり着けばもう閑静な住宅街だ。真反対側は(当時の店長に)「女性はあまり一人で立ち入らないほうがいい」と注意されていたエリア、新大久保があった。今はそのあたりもだいぶ様変わりしている。

秋になり、だんだんと肌寒くなってくると、特に思い出すのは、初めて父親に連れて行かされた、花園神社で観た唐組の赤テント。当時は「アングラ」って言っていた。あれは初めて見たときは本当に、衝撃的だった。テントの中で観客は地べたに座り、寒空の中ぎゅうぎゅうに肩を寄せ合う。演者と観客との距離が限りなく近く、体育すわりのまま演劇を鑑賞する。何とも言えない世界観。テントの中にいるすべての人たち、そして新宿という街とが一緒になって一つの作品を形成していた。

いまから15年ぐらい前の東京は、今に比べても決してきれいとはいえなかったはずだ。飲み明かした朝の新宿は、生ごみのすえた匂いがして、それらに群がるカラスたちでいっぱいだったし、空気がもっとグレー色に曇っていた。

電車に乗る人は今のようにスマホを片手に持っておらず、私も含めたくさんの人が小説か何かの本を読んでいたり、あるいはただぼーっと外を眺めたり、カップルはひたすらいちゃいちゃしていた。

SNSもなんて、もちろんなかった。あったかもしれないけど、使ってはいなかった。今、友達が何をしているのか、何を考えているか、なんて知る由もなかったし、もちろんそんなことは知りたくもなかった。

みたくない現実はみなくてよかったし、付き合いたくない人とは付き合う必要もなかった。

今よりもずっと不器用でいびつな世の中だったかもしれないけど、いまよりずっと他人よりも自分のことが好きで大切だったような気もする。(人はそれを若者の自意識過剰というのかもしれないけれど)

なんか、そんな時代だった。

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私たちはバイトの前に時間があれば、近くの喫茶店でタバコとコーヒーを飲みながら、最近観た映画や読んだ小説の話だとか、どうして男は一度手に入れた女に冷たくなるのか、とか、コンビニのおにぎりはやっぱり高菜がおいしいよね、だとか、そんなようなことを、何時間も議論したりしていた。

皆それぞれ、”それなりの”大学に通っていたはずだったのだが、なぜか私たちは将来のことについてあまり真剣に考えていなかった。だからこそ、何かの思想に縛られることもなく、不安もあまりなく、時間だけはたくさんあって、どこまでも自由で、なぜか無敵だった。

「将来どうするか。自分は何者になりたいのか」

そんなことは、多分就職活動を急に迫られた、大学3年生の後半から4年生のはじめの一瞬だけのことで、就職が決まってしまえばもうそれ以外の時間はずっとずっとこういう気怠い日常が続いていた。

リーマンショックぎりぎり手前に就職した私たちは、だいたいみんな、苦労せずに社会人になることができたのだ。

いずれ経験する健康に対しての不安も、いずれ経験する仕事での人間関係やキャリアへの悩みも、社会人になって突然突きつけられる男女の差も、世の中にあるとは、しらなかった。

家族の誰かが亡くなることも、日本で自分が身近に感じるような災害も、感染を気にしながら何となくすっきりできずに過ごす日々も、しらなかったし、自分たちが生きている日常には存在しなかった。

先に書いた通り、この時にバイトが一緒だった友人の一人とは、もう15年の付き合いになる。

今でこそ、似たような思考の人に合うのは容易なのかもしれないが、いわゆる本流という生き方からちょっとだけはずれていた私たちは、出会って初めてお酒を飲んだその日、お互いに胸に秘めていた考え方、興味の矛先について、何時間も何時間も吐露し続けた。

自分と同じように、大学というコミュニティにイマイチなじめない人がいた。周りがインターンシップや留学などで将来のことについて真剣に考えて行動している中で、この東京で身動きができずにただ気怠い毎日を過ごし、それがむしろ続けばいいと感じている人がいた、なんていう風なことを、お互いに感じたのだ。

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誰しもこういう時代はあるのだと思うが、私はいまだこの10代の後半から20代前半ぐらいの時期以上に鮮明に記憶している日々を過ごしていないことは確かである。

もっと年老いたときに、もう一度こういう気持ちになることは、あるのだろうか。

当時の自分が今の自分をみたら、「ずいぶんつまらない大人になったね」と思うかもしれない。

その後、社会に出てめちゃくちゃ苦労したこと、就活を真剣にやればよかった、もっと将来を考えればよかったと後悔して必死に頑張ったこと、周りに協調するのは結構大変だけどたまにはいいこともあること、新宿には伊勢丹に行く以外ではほとんど行かなくなること、もっといい男はいっぱいいる、ということ、全部あの時の自分には、絶対に“教えてあげたくない”と思う。

あの頃、何も考えず、何も知らず、ただただ大学生であることを享受できたことが、私の人生にとっては宝物のような時間だ。







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