「正義の反対は正義である。 — 保毛尾田保毛男の一件について その2 —」


正義の反対が「悪」だったらどんなに物事はわかりやすいだろうか。

9月末に放送されたフジテレビ「とんねるずみなさんのおかげでした30周年スペシャル」に登場したかつての人気キャラ保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)。放送前後で賛否両論様々な声があがり、僕もそのひとつの声としてこのようなブログを書いた。

http://www.huffingtonpost.jp/sugiyama-fumino/fuji-minaoka_a_23228611/?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

それに対し、ウーマンラッシュアワーの村本さんがこのようなtweetをした。

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お前だけが被害者面すんな、おれも学歴や職業や考えで差別されてると思うことは沢山ある。でも生きる。

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更にこのtweetに対して認定NPO法人フローレンス代表の駒崎さんが反論し再炎上。

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学歴や職業等、選択できるものとセクシャリティは違うし、たとえ自分が差別され痛いからと言って、現に痛がっている人達に「痛がるな」という権利はない

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一連の流れを受け、乙武さんが両者の議論の補足をするように「やっぱりまだ早いかな」とコメントをあげた。

駒崎さんブログ↓

http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/lgbtq_a_23238199/

乙武さんブログ↓

http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/lgbt-joke_a_23239514/


フジテレビは16日に改めて正式な謝罪をHP上で掲載。

http://www.fujitv.co.jp/minasan/index.html

一方で放送倫理・番組向上機構(BPO)「バラエティーの表現の自由の範囲内」と発表した。

議論の内容そのものとは別に、僕がこの一連の流れで感じたのは二点。

LGBTの話がこれだけ話題になる時代が来たのだと言うこと。

そして正義の反対は正義なのだということ。

賛否両論はあれど、LGBTの当事者・被当事者(そもそもLGBTはL/G/B/Tであって課題は異なるため一緒に語るのは難しい。また当事者と被当事者とわけること事態も賛否あるがその議論は別としたい。)

に関わらずこれだけ声が上がったのはとてもいいことだ。何故なら今まではその議論の土俵にすら上がれていなかったからだ。「理解」の前に「知る」機会すらなかった現状がある。触れてはいけない、言ってはいけない、そんな時期が長かった。知らないものは怖い。知らなければそもそも考えることもできない、考えなければ理解もない、そういった意味で今回これだけ話題になったことはとてもいい機会になったと思う。

また今回は賛否両論様々な意見が本当に多く出された。そしてホモオダによって毎回傷ついていた人も、毎回楽しみにしていた人も、その全ての意見がその人の「正義」だと感じた。

それぞれの立場から自分の正義を語るのはいい。僕も自分の正義を語った。ただ、残念だったのは正義を語る多くの人が、自分の正義と反対意見の人をまるで「悪」のように攻撃していたことだった。実は大きな問題はここにあるのではないか。

自分の正義を語るとき、相手の正義を否定する必要はあるのだろうか。

正義と正義がぶつかって起こる争いほど悲しいことはない。

多様性の中にある多様性。

誰ひとりとして同じ人はいない。みんなが何かしらのマイノリティ。

僕は僕、あなたはあなた、それでいいじゃないか。そんなみんなと共に生きているのだ。

一生懸命になりすぎると忘れてしまいがちだけど、自分と同じ熱量で異なる意見が存在するということ。そこに少しでも想像力を働かすことができたらと思う。「アイツはわかってない!」と批判するのではお互いさま。大切なのは「わからないアイツ」を「わかる」こと。殴ったら殴り返すという負の連鎖をどこで断ち切るのか。

正義の反対が悪ではなく、それぞれの正義が存在するという認識を共有するだけで、変えられる世界があるのではないか。

そういう僕の正義を、皆さんの正義はどう感じるだろうか?

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