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写真と変顔

カメラロールを遡り、彼と撮った写真を眺めていた。
そんなに枚数は多くない。普段から写真を撮る習慣はないから、年に数回のお出かけの記録がぽつぽつと残るだけ。

写真の中の私は変顔ばかりしている。
普段、彼以外の人といるときの私は「落ち着いている」と言われる。目立たず、自己主張もそんなにしないし、どちらかといえば近寄り難いタイプかもしれない。
でも、彼といるときの私は全然違う。
ふざけてばかりだ。

彼とのツーショットや、彼が撮ってくれた写真に残る私もそう。
照れを誤魔化して、ふざけて、変顔してる。シャッターを切る瞬間を狙って変顔する私を見て、彼はよく笑った。

なんか今書きながら、ふと、嫌われ松子を思い出した。
嫌われ松子の一生。
中谷美紀さん主演の、大好きな映画だ。

主人公の松子も、父親が写真を撮るときに変顔をする。それを見て、妹の病で重い表情ばかりだった父が笑うのが嬉しい。
変顔をすれば父が笑ってくれると知った松子は、父の前で何度も何度も変顔をする。

私は彼を笑わせるのが目的というよりも、自分の照れを隠すために変顔をしていたから、少し違うけど。
写真の中の私はふざけていて、ただその瞬間を楽しんでいるように見える。

一方で、不機嫌な顔の写真も何枚もある。
温泉旅行の朝、寝ている彼を残して1人で朝食を食べて。こんなときくらいは一緒に朝ごはん食べたかったと不満に思いつつも言えなかった。
チェックアウトの時に彼が撮った私の顔は不機嫌丸出しで、変顔で取り繕うこともしていない。

彼との別れを決めた後から、時間が過ぎるのがやたらと遅く感じる。
永遠にこの時間が続くのかと思うとしんどくなる。

戻ったら?楽になる?
そうだよな、楽にはなると思う。
彼のことを嫌いになったわけではないから、今までと同じように、楽しく過ごせるかもしれない。

でも、それで?
それがしあわせなのか?

カーテンを閉め切った部屋で生きるのが?
別れ話をすると黙り込んで何も話さなくなる男と、この先一緒にいてしあわせなのか?

真面目な話ができないのは、お互いを信頼してないからだろうか。
幸せになる勇気では、まず自分から尊敬して信頼するのが大切だと書いてあった。

そういえば、昨日は私も休みだから一日中寝てみた。幸せになる勇気にあった「他者の関心事に関心を寄せる」を考えられるかもしれない。

一日中寝てるのはしんどかった。
腰は痛くなるし、スマホでKindleを読んだりしたけどだんだん飽きてくるし、目も疲れるし。ただゴロゴロするってけっこう体力がいる。
それをほぼ毎日してる彼はある意味すごい。これは嫌味ではなく、私はちょっと無理かも。

彼だって、しんどいかもしれない。
でも、それを上回るくらい、外に出るのが怖いのかな?
ゴロゴロするしんどさを上回るくらい、「普通の生活」がしんどいのかもしれない。

うーん。だとしたら、どうしたらいい?
彼に合わせて「普通の生活」を手放してきた結果、私は朝の時間を失って、しんどい。カーテンも開けられなくて、しんどい。

やっぱり、2人で生きるのは難しいのかな。
変顔だらけのツーショットを消すしか、方法はないのかな。

ちふみ

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