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砂利道とおじいちゃん。

日が暮れるのが早くなって営業時間が19時までなのだけれど18時頃にはもう真っ暗。すると本当に周りが暗いのでお店が異様に明るく目立つようになった。その効果か判らないが最近はお店の前の道を通ってお店の存在に気付き勇気を出して入ってきてくれる方がボチボチと増えた。しかし皆ネットで一度検索をしてどういうお店なのか下調べをしてから行く決意を固めて来たという。

昨日は昼間75歳のおじいちゃんが古着好きの知り合いから話を聞いたといって自転車でご来店。その人自身は服には興味ないそうだが私自身の人柄を聞いて一度話してみたいと来てくれたそうな。二人でしばし一時間ほど会話しおじいちゃんは帰って行った。色々と自分が考えている事なども話、背中を押されたような感覚だった。

思い返せば私は今34歳。私がこれまで生きてきた人生をもう一度終えたその先に75歳という年齢がある。ほぼ倍以上生きたおじいちゃんとこうやって赤の他人である私がこうやって話せた事は感慨深い。結局は人が大事だぞ。人を大切にするんだ。と最後念を押すように伝えてくれた。

しかしそのおじいちゃんは多分頑固で周りから敬遠されているに違いない。自宅前が砂利道でその砂利道を通る住民の方達で署名を集めて舗装してもらおう。という話になったらしいのだけれど、おじいちゃんは断固反対したという。おじいちゃんは砂利道だからこそ残したいんだと。少し怒りながら私に話してくれた。

どっちの意見も分かるのでこういった話は本当に難しい。価値観というのは人それぞれでそれを押し付けてはいけない。そういった人々が同じ地域に暮らしている。対立だって起きてしまう。でもやっぱり古き良きものには価値があってそれを残していく事も我々の使命だと思うし、何でもかんでも壊して新しいものを作るのはセクシーではない。

現存するものは破壊してしまったらもう二度と蘇る事はない。同じものは二度と作る事はできない。再生する事は不可能に近いが破壊する事は容易である。長い歴史を経たものには人が作り出せない佇まいとアジがある。それはきっと古臭いと括られてしまってもまた時を経ると魅力へと変わる。

音楽を聴いてその時の情景や過去が蘇るように建物や道、洋服にもその時代を蘇らせ、過去を想い、また感じる要素が詰まっている。目先の便利を選ぶ事が未来の後悔に繋がる選択だという事を今一度考え最善なる選択をしていけるようになると良い。

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