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『3月のライオン』17巻を読んだ。 【感想/ネタバレなし】

 羽海野チカ先生の『3月のライオン』17巻を、ようやく読んだ。発売してすぐに買ったのだが、しばらく読めずにいた。先日、藤井聡太 8冠、というニュースを見たとき、この漫画の新刊のことを思い出した。それから、今日は休日で、今日はいっぱい家事や予算設定を頑張ったから、夕方は思い切り休みたい気分で。読むなら今しかない。そう思って、コップに注いだ三ツ矢サイダーに、水出しアイスティーのパックをいれながら、キットカットを三枚ほど準備しながら、漫画を読んでいた。気づけば2〜3時間くらい経っていて、休憩なしで、一気に読んでいた。その間、私は私じゃなくなって、その代わりに、桐山零になったり、川本家の姉妹になったり、二階堂になったり、島田さんになったりしていた。

 15巻から読み返しながら、いっぱい考えたり、共感したりした。私はやっぱり一人じゃないんだと思えた。
 心の靄を晴らすことはできないけれど、それでも、この霧の中にいるのは、自分ひとりじゃないと実感するだけで、現実が何も変わらなくたって、見える世界が変わったりするものなのかもしれない。

 私は一人で本と向き合っているわけだから、物理的には一人なのかもしれない。でもそのとき、私は人がたくさんいる場所よりもはるかに、「ひとりじゃない」って、心の底から思えるときがあるのだ。
それまでの暗闇や泥沼が報われるご褒美のように、「ひとりじゃない」って思える瞬間がやってきて、どんなに迷った時も、どこにも道がないわけではないんだと気付けて、小さな草むらをかき分けながら進める勇気をくれるのだ。
 そういう瞬間に名前をつける時、ぴったりと当てはまる言葉が、私の中で「ひとりじゃない」という言葉以外、浮かばない。だから、ひとりじゃないと呼ぶことにしている。

 私が大学一年生の時、作詞の先生に「孤独に寄り添うなら、『ひとりじゃない』という表現はふさわしくない、なぜなら一人じゃない人もいるから」と指摘されたことがある。
 私は、孤独を知る人だからこそ「ひとりじゃない」と思える瞬間があると思って、その言葉を書いた。
 しかし、その先生に、それを伝えることができなかった。そうして、先生の説明に言いくるめられるまま、「そういうものなのか」と思って、なんとなくそれが正しいような気がしていた。それから、無意識にもその表現を避けていた。

 だけど、久しぶりに、この漫画を読みながら、ひとりじゃないんだ、って思った。
 それは例えば、とある曲と出会って、歌詞カードを何度も読みながら、不意に涙が込み上げてくるような瞬間とか。
 私は物語の中へ入り込んだ時、そこに、自分とどこか重なる部分を感じる誰かがいるとか。

 音楽が好きな理由も、絵が好きな理由も、漫画が好きな理由も、映画やアニメが好きな理由も、全部、この、「ひとりじゃない」と思えるからなのだと、思い出した。私が今まで創作をしてきた理由も、「ひとりじゃないよー!」という、叫びだったのかもしれない。

 羽海野チカ先生。あなたが私の心の中に、そして私の本棚に、いてくれているのなら、私は残りの大学生活の一年半も、それから、その先だって、ずっと、乗り切れるような気がしています。

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