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人はいろいろ、タコはイボイボ

よく見聞きする"平均"。
この"平均"、気にしないほうがいい、というのをやっと自然に考えられるようになってきました。

そこで通過する人が多いというだけで、適齢期もタイミングも人それぞれ、人の数だけ存在するわけです。わたしはその平均に外れることが多くて、外野もそれを指摘するから、いちいち気にして、いちいちモヤモヤしてテンション下がる.......でした。このモヤモヤ時間、ほんとに時間の無駄です。

見聞が狭いぞー、
自分の経験が他人の人生にも同じく適用されると思うなよー。

人はいろいろ、タコはイボイボ、なんだから。
みんな一緒だったら、そら~気持ち悪いでしょー。

だから、外野のゴチャゴチャは右から左に受け流せばいいのだ。受け取ったところで何も生まん。時間の無駄!

ただ、平均、というのは、そこだといろいろ楽でスムーズよ、という意味もあると思っています。

例えば、わたしは平均的時期に反抗期がありませんでした。
わたしの反抗期は26歳から始まって、10年続きました。長げ~な~。成人してからの反抗期は長期化するうえ泥沼化もします。

大変ですわ。
これに限っては平均的時期が平和だったろうと思いますわ。

でも、わたしにとっての適齢期は26歳だったんです。ベストタイミングは26歳だったんです。

大人になってしまうと基本的には自ら動いてどうにかしなければまず解決できません。そして独りで立ち向かうことは決して容易ではありません。

わたしの場合、自ら動くなかで、いろいろな偶然が重なって、助けてくれる人に出会って、コミュニティに出会って、好転していきました。

この経験が自己肯定の低い自分にとっては大きな自信にも繋がりました。結果オーライです。だから、26歳の反抗期はわたしの適齢期だったのです。

自分が属するコミュニティの存在はほんとうに大きいです。できれば複数あったほうがいい。

コミュニティというのは、家族とか、親戚とか、勤め先も該当しますが、これらはどちらかというと、自分の意志によらない、場合によっては、やむなく属しているものかもしれません。ですから、これ以外に、自分の意志で属するコミュニティがあるのがいいです。趣味でも、同じ志を持った学びの場でも、自分が楽しく気持ちよく過ごせるコミュニティがあると、たいていのことは乗り越えられます。

わたしが、いじめや嫌がらせを受けていたとき、潰されることなく、冷静に対処できたのはコミュニティとその仲間の存在があったからです。先の未来への不安が小さくなったのも、コミュニティと仲間のお陰です。

攻撃してくるのは人ですが、救ってくれるのも学びを与えてくれるのも人です。結局、人と関わらずして自分の成長はないんだな~と思っています。程よい距離感でいろいろな人と関わりながら、たくさん学んで成長していきたい。

そう、なんやかんや一番オモシロイのは人間です(*'▽')。一人として同じ人はいないですから。もう、ほんとに、人はいろいろ。タコはイボイボ。そんな感じです~(≧▽≦)



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