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015 「星降る夜」がくれたもの*ふむもくエッセイ*

けっこう前の話です。

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風があまりない夜に、川沿いを歩きながらなんとなく歩いていると、小さな星がたくさん見えてきて、自分のこころにそっくりだと気がつきました。地味で、ありふれていて、意味がなくて、ただぽつんと存在している。

こんな風に落ち込むのは良くないことです。仕事をしていれば失敗はつきものだし、人と話せば余計なことを言ってしまうし、あわてると大切なこともすこんと忘れてしまうものです。暮らしていればこういうことは不可避で、信号のようにあちこちで出会います。

それでも、前も同じ失敗をしたのにやらかしてしまったときの自己嫌悪感はすさまじいものです。とことん私は人間に向いてないなぁなどと思ってしまい、気持ちを切り替えようとしても、しつこくくよくよの波が押し寄せます。

お酒に逃げよう、と決心をして家のある方向に帰りかけたとき、なにかを思い出しかけてもう一度夜空を見ました。そして、これはどこかで見たことがある、と思いました。

「よく見て。光の種類がちがうでしょ」

いつかの先生の声が聞こえた瞬間、ふわっとその情景が広がりました。こっくりとした深い青。そこに広がる黄色い光、光、光。大きな星に小さな星。その下には家やお店からこぼれる明かり。その明かりは、さらに下に広がる川の水面ににじむように映っています。

なんてきれいな絵。私が生まれて初めて心から感動した絵。
それは、フィンセント・ファン・ゴッホの「星降る夜」でした。

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この絵を見たのは小学生のころで、学校の図書室にある画集で見ました。
私の父がゴッホのファンで、家に画集があったので中に収録されている絵を見たこともありましたが、その時はあまりゴッホの絵を好きになれませんでした。激しい筆の動き、べっとり、こてこて、というイメージだからで、なめらかなルノワールの方が好きでした。

そのとき、なぜ図書室でゴッホの画集を広げたのかはわかりません。
今思うと、画集ではなく子ども向けの絵画の解説の本か伝記かもしれません。

とにかく、「星降る夜」は、はっとする美しさでした。どきどきして、思わず食い入るように見つめていました。言葉が出ず、息をするのも忘れてしまいそうでした。

「どの光がすき?」
と、図書室の先生に質問されても、しばらく意味がわからなかったほどです。それで、
「どの光?」
と訊き返してしまいました。図書室の先生はゆっくりと話してくださいました。
「よく見て。光の種類が違うでしょ。星の光と街の光、それから川に映る街の光」
私は、目の前に絵があるのに、なぜか目を閉じて絵を思い浮かべました。
星の光はつめたい感じ、大きいのも小さいのも透明できれいなレモン色。
街の光はほっとする感じ、やわらかくあたたかなオレンジのような黄色。
川に映る光は…街の光の色との違いはよくわからない。でも、なんだか泣いているみたい。
いろいろな大きさでいろいろな輝き方の光がまぶたの裏に光っては消え、消えては光ったような気がしました。

私はゆっくりとまぶたを上げ、
「ちいさな星の光」
と答えました。先生は微笑んで、
「ちいさくても、ちゃんと光っているもんね」
と言いました。

それから私は父の本棚からゴッホの画集を引っ張り出して「星降る夜」を探しましたが、見つかりませんでした。
もう一度、図書室に行って「星降る夜」を見ました。
よく見たら絵の下の方に人が二人います。恋人のように見える二人の後ろには、小舟が揺れています。二人とも、光に背を向けています。二人きりで会っているのに、どこか悲しそうに見えます。ちょっとだけ後ろを見たら、空を見たら、こんなにきれいな輝きがあるのに。

そこまで思い出して、気づきました。私は、いつのまにか空を見ても嬉しくなくなっていました。川のそばを歩いても、自分の足しか見ていませんでした。顔を上げれば、何か見えるかもしれないのに。もし曇っていて星が見えなくても、新月の日で月がなくても、誰かの家の明かりはついています。道を照らす街灯は灯っています。夜でさえ、完璧にはなれません。

それは、発見でした。
「星降る夜」を見て肌が粟立ったあの日の記憶がくれたメッセージでした。私は少しずつ心がほぐれていくのを感じました。風も少し吹きはじめていました。帰ったら、ゆっくりお風呂に入ってねむろう。また明日からがんばろう、と思いました。

これからも、いろいろな日があります。
私はその度に嬉しくなったり落ちこんだりするでしょう。そしてときどき、さまざまな形で「星降る夜」がひょっこりと私の目の前に広がるでしょう。その時その時で、見える光は違う輝き方をするでしょう。その光が大きくても小さくても、澄んでいても濁っていても、冷たくても温かくても、静かでもにぎやかでも、ただそこにあるだけで、ふっと嬉しくなるでしょう。

こうして私は、何度でも見たい風景を持つことができました。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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