見出し画像

189 「大丈夫」の強さとやさしさ

「大丈夫」という言葉には、強さとやさしさがあるなとしみじみ思う。子どもが転んで泣いているそばで、母親が「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とおまじないのように言っている姿を見ると、やわらかい気持ちになりつつ、自分に言われているわけでなくても「そうか、転んでも大丈夫だ」と心強く思うものである。
 
また、いつもと様子が違う人に対して「大丈夫?」と聞くことがある。これは、相手を慮る質問。この言葉によって、相手が「実は体調がすぐれなくて」や「落ち込むことがあって…」といった、心の中で抱えていたつらさを吐き出せることがある。
このことから「大丈夫?」と聞く側は、その人の普段と異なる「なにか」を受け止める用意ができているといえるだろう。それが、たとえ取り返しのつかないかなしい出来事で、予想外の「なにか」だったとしても、「大丈夫?」と聞く前に、心のどこかで「なんだか様子が変だから聞いてみよう」と思っている。
人に使う「大丈夫」には、思いやりが詰まっているのだ。
 
もともと「大丈夫」は、強くてしっかりしているさまや安心できること、間違いのないことという意味で使われてきた。今はそれに加えて、必要・不要または可・不可の意味で、問いかけや答え方として使われることが増えている。
例えば、「荷物を持ちましょうか?」の問いに対して、「いえ、大丈夫です」と答える場合。これは、人の申し出を穏便に断る際に使用する。実際、「いえ、荷物を持たなくていいですよ」と言うよりも「いえ、(荷物は自分で持てるので)大丈夫です」の方が、やわらかく響く。
こういった、特に不要・不可を伝える際のちょっとした気遣いが「大丈夫」の用法を広げたのだろう。
 
ところで、「大丈夫」のもとの意味の「強くてしっかりしている」には、心の強さも含まれていると思う。
はじめてそう強く思ったのは、中学生の頃にあったこんな出来事である。

授業の後、図書館で本を読んで帰ろうと中庭を通ったとき、向かいから同級生が歩いてきた。いつも元気な友人がうつむいていて、様子がおかしい。私は「○○さん?」と声をかけた。顔を上げた友人は、私を見るなりぼろぼろと泣き出してしまった。

私はあわてて友人に駆け寄り、何があったのか聞いた。
とぎれとぎれに出る友人の言葉を拾うと、どうやら父親が亡くなったらしい。交通事故で、即死だったそうだ。

あまりに衝撃的だったので、私は何も言えず彼女を抱きしめた。
そうか。あのフィリピン生まれの明るいお父さんは、いなくなっちゃったのか。

そう思いながら、私は友人の頭越しに空を見ていた。
ピンク色と水色が、水彩絵の具のようにじわじわと広がっている夕暮れだった。
 
しばらく私の腕の中で泣き続けた同級生は、肩の震えがだんだんとおさまってきたかと思うと、息をふっと吐いて私から体を離してこう言った。

「ありがとう。もう大丈夫だよ」
 
彼女は、まったく大丈夫ではなかっただろう。
友人の心の中すべてはとてもわからないが、私自身、身近な人を亡くしたことがあったので、人と突然二度と会えなくなる痛みはわかる。この苦しみは、時間しか解決しないことも知っている。
 
しかし、彼女ははっきりと「大丈夫」と言った。それは、私に言っているようでもあったし、自分自身に言っているようでもあった。
友人の「大丈夫」には、私に心配をかけたくないやさしさと、自分の足で歩いていく決意の強さがにじんでいたと思う。
 
今でも、ピンク色と水色の夕暮れの中、しっかりとした足取りで正門に向かっていった友人の背中をときどき思い出す。
 
私も思い悩むときや自信喪失しているときに「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と思って、「大丈夫」に励まされることがある。「大丈夫」は、人に言うだけではなく、自分にも効果があるのだ。
 
きっと、私たちはこれからもまったく大丈夫じゃない「大丈夫」を言ったり、思ったりしながら生きていくだろう。
そんな風に日々を乗り越えていく中で、ふと振り返ったとき「あぁ、やっぱり大丈夫だった」と思えたら、ちょっと人生を好きになれる気がする。
 
「大丈夫」は、やっぱり強くてやさしい。
母親が子どもにかける「大丈夫」のおまじないは、「乗り越えられるよ」。
身近な人の異変を感じて問いかける「大丈夫?」は、「いつもと様子が違う理由を聞かせて」。
何かを断る時の「大丈夫です」は、「自分でできます」。
そして強がりの「大丈夫」は、「自分でなんとかするよ」。
 
人に頼りすぎない思いやりと、自分やだれかの強さを信じる気持ち、人への気遣いが詰まった「大丈夫」。
 
だからこそ、人が「大丈夫」と言った時には、その奥にあるやさしさや強さにきちんと気付きたい。
 
そして、だれかが自信を失っているとき、弱っているとき、転んだとき、困っているときには、声をかけてあげたいと思う。
「大丈夫?」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?